第9便

今回、東北にボランティア活動として訪れ、初めてのボランティアだったので、とても緊張しましたが、活動を共にするメンバーの方達や先生方のおかげで緊張もほぐれて活動することができました。

初めて被災地の現状を目の当たりにした時、自然が持つ大きな力に圧倒されました。松の木や鉄の柵がへし折れている現状や家がごくわずかのタイルだけになり、後は跡形も無く消えている状況をその場で改めて見ると、津波の影響がとても凄まじいことが分かりました。また、津波の現場にあった慰霊碑を見た時、多くの亡くなられた人々の名前が刻まれ、その中には親と子どもの名前や年齢を見る限り僕と同じ年齢くらいの人も亡くなられ、僕は、この人達は一体どのような最後で亡くなられていったのだろうか。など、様々な事を考えた時に、その慰霊碑の前で僕は自然と涙が出て、苦しい気持ちになりました。

粕汁やお餅の提供では、この津波によって被災された方はどのような状況でどのような想いで、現在の仮設住宅に暮されているのだろうかとボランティアに行く前など考えていましたが、当日その現地でお食事の提供を行い、被災地の方達と交流をさせて頂いた時に、その方達はとても元気で明るい方たちだという印象が1番強く残り、お餅のつき方やずんだ餅を作って食べさせていただくなど、短い間でしたが色々なお話もでき、良い経験ができました。

大谷大学のボランティア活動に参加し、自分にとってメディアではなく、直接に被災地の現状を見ることにより、考えさせられることが以前よりも多くなったと思います。復興は震災のあった日から若干回復したとはいえ、仮設住宅で暮らす人々などは、まだまだ厳しい現状が続いているので、一日でも早い復興を願うと同時に、今、自分が行えることはボランティアや支援活動などであると、この活動を通して感じることができました。だから、僕はこれからも積極的にこのような活動を行っていきたいと思います。本当に良い経験ができました。ありがとうございました。
【1回生/男】

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今回のボランティアで仙台の現在の状況を見て、改めて震災のダメージの大きさを確認しました。その中で、震災で起こった事を心に残し続け、人々に伝えていこうと活動する人達の姿やその言葉から、震災から2年が経過して遠くからでは中々現地の状況を聞く事がなくなった今でも、さらに復興が進むであろう今後も、私たちはこの災害を決して忘れてはいけないということを強く感じました。

また、仮設住宅に住む皆さんにお餅と粕汁をご提供することを通して、人と出会い接することの意味と大切さを改めて考えさせられました。現地の皆さんの笑顔を見ることができて本当に嬉しかったです。

今回のボランティアは、自分の生き方や考え方を見つめ直す良い機会にもなりました。参加して本当に良かったと思います。
【4回生/男】

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今回の復興支援ボランティアは学生としていく最後の機会となりました。
このボランティアは震災があった日から間もなく発足され、それから2年間、教職員の方々が、要請に応じて企画してくださっています。今回で9回目となる様ですが、それにしても第1回目の頃がついこの間の様に思い出されます。

瓦礫の撤去作業すら儘ならない、第1回目の頃の状況を振り返り、その頃と現在を比べると、復興は順調に進んでいるように思うことがあります。しかし、改めて現地に赴いてみると、震災の爪痕は未だに癒えていないのだと感じさせられました。

今回は、お餅と粕汁を仮設住宅で生活されている方々に召し上がっていただくという企画でしたが、そこには多くの高齢者の方々もいらっしゃいます。雪が降り注ぐ寒い中、肉体的に些か堪える作業でしたが、そこで生活される方々はどのような過酷な日々を送っているのかを考えざるを得ません。その現状から、一体どのような、どれだけの制限を被っているのかを考えさせられ、それが肉体的・精神的に追い込まれざるを得ない状況であることが勝手ながら想像できます。

しかし、そのような過酷な状況であっても皆さんは笑顔で出迎えてくださいました。その笑顔は今・このときと向き合っていこうとする力強さゆえなのかもしれません。何にしても、私たちに対して向けてくださった気持ちには違いないと思います。その気持ちがどこから、なぜ出てくるのかは私の想像には遠く及ばないことのような気がします。

また、2年間にわたってボランティアを継続されてきた教職員の方々が、どのような思いで今まで支援をされてきたのかも、私には想像もつかないことです。私に限っては、縁あって参加しているものの、用意周到な企画に乗らせていただいているに過ぎません。たとえ被災地の現状を知ったうえであっても、個人的に行動に移すことはできないように思います。

ボランティアに関わっている方々には、人の気持ちを動かすようなメッセージ性がある様に思います。それがいったいどのような気持ちがあってのものなのか、私自身の問題として考えていく必要があるように思っています。

短い間ではありましたが、今回の復興支援に参加する機会をくださった方々には心より感謝しております。今回の震災は多くの人々に苦しい状況を強いていますが、反面、それをきっかけに私自身が何を大切に生きていくべきなのかを考える機会となりました。過酷な状況を我が身と思うことは難しいことですが、せめてそれを忘れず考え続けいきたいと思います。
【4回生/男】

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今回のボランティア活動を通して、私は初参加でしたが改めて全員で一つのことをやることの意味を大変考えさせられることが多々ありました。

24日のお食事提供の活動においては、配達としておばあちゃんのお餅と粕汁を仮設に持っていくとき、私自身も何かを会話したいと思い、話しかけました、何を話したらいいのか、話すべきなのか、全く見えずしてとりあえず話しかけようと無我夢中に話しかけ、また話を聞いていたつもりです。しかし、家の前に着くと「はい、ありがとう」と言われ、話の途中でも別れるようなかたちが多かったように思います。そこで、現地の暮らしの厳しさの中に、「呑気にしてはいられない」というような気持ちの部分における厳しさというものも垣間見ることができたような気がします。

私自身、今回のボランティア第9便に参加しようと思った動機の一つとして、震災から2年が経つことによって、自分自身があの震災の事実を忘れていくような気がして、そうではなく現地を生で見て、そして自分に何ができるのかを真剣に考えるきっかけにしたいと思ったことが挙げられます。当然、今回の一回だけでその答えが見つかるはずもありませんが、僕はある意味では京都に生活していようと、また地元新潟で生活していようと、仙台で暮らす方々の生活と違うようには思えても、心の中においては同じ時間の共有が永遠になされるのだと思いました。

私たちは京都に戻れば、其々の生活が其々今まで通り当たり前のように始まります。いわば普通の生活が始まります。しかし、仙台の方々の生活、主に被災された方々の生活も震災後ずっとその痛みと共に生活してきたのだと思います。当然それは、普通の生活とは正直言い難いものかもしれませんが、その今まで通りの時間・生活の経過は、私たちがあの日のことを忘れない限り、互いの心の内において同じ時間・生活の共有の実現がなされて
いくのではないでしょうか。

今回のボランティアを通して、私が強く感じ、また学ばされたことは、私一人ができることは何か…の答えではなく、その姿勢が現地の方々と私たち自身が共に歩むということにつながるのではないかということです。
【3回生/男】

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今回で5回目のボランティアでしたが、今までは雪の季節に行ったことがなかったので、その点は苦労したところもあると感じました。

仮設住宅での活動として、前回は牛丼作りでしたが、今回は餅つきということで、現地の方と一緒に作ることができ、そういう点では前回よりも現地の人と交流できたのではないかと思います。

これからは、仮設住宅での活動が中心となってくると思いますが、今回の活動によってどのようにしたらより現地の人と交流できるのかわかったような気がします。次回以降は、今回の経験をいかせたらいいと思います。また、次回は、仙台仏青の方ともっとお話ししてみたいです。
【2回生/男】

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今回で5回目の参加で、第9便目に参加させていただきました。毎回感じること、得ることは多いですが、今回は特に色々な事を学びました。粕汁とお餅をご提供しましたが、粕汁もとても美味しく、餅つきもとても楽しく、充実した1日でした。

一番心配していた現地の方々の様子ですが、皆とても元気で圧倒されてしまいました。足が不自由で会場まで出て来れない方のために注文を取りに行くやり方も、一対一で話せるいい機会となり、本当に素敵な時間でした。

一方、荒浜地区などは、まだ震災の爪痕が大きく残っており、復興にはまだまだ時間がかかると思いました。そして私はやはりもっともっとこのボランティアに参加しようと思いました。もっと多くの人と関わり、支えあっていくことが、一つの大きな復興になると思いました。
【2回生/男】

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今回の9便に参加する事が出来てよかったです。2年経ってやっと次への段階へ移れる様子も見られ、また現地の人たちにこちらが励まされました。

ボランティアに参加して自分が何を出来たかと言われると分からないですが、2年経っても忘れずに続けて支援して行く事が大切だと思うので、大谷からこのような機会を設けてもらって、とても有難いなって思います。3月で卒業してしまうので、直接的に参加して活動する事は出来ないですが、卒業しても東北での震災の事を忘れずに、また、ここで活動したこと、出会った仲間や現地の人のことを忘れずにしていきたいです。
【2回生/女】

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今回、東北震災ボランティアに参加させていただき、現地に滞在したのはたった2日という短い期間ではありましたが、すごく自分の思い出に残るものになりました。
震災が起こってから、私は両親から震災ボランティアに絶対行くべきと念を押されていました。私自身も自分の力で何かお手伝いできることをできれば、と漠然とした願望はもっていました。ただ、なかなか行く機会と勇気が出ずに2年という月日がたっていました。

もうあの惨事から2年です。でも関西にいる私にとっては思い出す日の方が少なくなってしまっているのが現状でした。

何も被害にあっていない私たちには被災地の方々の気持ちを理解するのは難しく、はねのけられてしまうのではないかという震災ボランティアへの漠然とした不安を抱いていました。

現に様々な震災のボランティアの話を聞き、受け入れられない方の厳しさを知り、せっかくボランティアしてそんな冷たくされたら寂しいなと自己中心的な考えをもってしまっていました。

ボランティアなのに見返りを求めているようでは、私はまだまだです。ただ今回、実際に何もなくなった沿岸部を視察して無性に心が痛みました。がれきのあった当時のことは、私はTVや新聞でしか見たことがありません。ただこの何もない場所が元の通り復興するのはいつになるのだろうと遠くに住んでいる私まで不安になりました。

誰しもが全てを失い、そんな中で被災地の方々が自分の気持ちに余裕をもつことの方がずっとずっと難しいと感じました。明日も未来も分からない不安と戦ってらっしゃるのだと思いました。

むしろ私たちに優しさと笑顔をわけてくださっていることに、元気を届けにいったはずの私が元気をいただいて帰ってきた気がします。たくさんの笑顔に触れることができました。

仮設住宅の方々は本当に温かくて、私たちが有志で行っていることに「ありがとう。ありがとう」と感謝の言葉をかけてくださいました。「寒いだろう」と、私の手を温めてくださったり、わざわざ窓をあけて美味しかったよと話しかけてくださいました。皆明るく、まるで2年前の3月11日はなかったかのようでした。たった一皿のおもちと粕汁を本当に大切に持って帰ってくださって、その後ろ姿に色んな感情がまじり泣きそうでした。

心の裏にある悲しさを私たちに見せない強さを被災地の方々はもってらっしゃって、すごくその強さに憧れました。

またボランティアの意義というものも少し感じることができた気がします。1人では決してできないこと、それが30人となると成し遂げることのできるものになります。私一人ではボランティアをするどころか東北へと出向くこともないです。様々な方の支援をへて、今回このボランティアが開催されたこと、そしてその中の微力ながらも力に
なれたこと嬉しかったです。

私たちの生活は物で溢れかえっていますし、すごくすごく幸せな生活です。地区会長さんが挨拶されている時、先ほどまで明るくお話していただいていたおばちゃんが泣いておられたのを見て、皆さんが様々なことを抱えて生きてらっしゃることを痛感しました。

まだ私は、1回目です。まだできることはあるはずです。私たちが住んでいる日本でおこったことに目を背けずに、もっと被災地と関わっていけたらと思います。今回は、こんな貴重な体験をさせていただきありがとうございました。次回もまた参加できたらしたいです!たくさんの被災地の方の笑顔に会いに行きたいです。
【2回生/女】

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まずは出発から予想外に時間をかけて帰ってきた今日まで、本当にお疲れさまでした。私にとっての最終便、という特別な思いがあったからか、今回で4回目の参加でありながら、初めて参加した時のようにまだ自分の中で消化しきれず、何から書いたらいいのかわかりません。

被災地視察で訪れた、荒浜地区に設置されていた石碑には、名字が同じですが、ただお父さんと思われる名前だけがないものもあり、残されたお父さんのことを思うと心が痛かったです。

同時に今回の震災ではこんなケースが山ほどあるのだろうと思いました。名取市の閖上中学校に置かれたメッセージの書かれた机には、約2年という時間で黒ずんだバスケのメダルがありました。犠牲になった生徒さんの学生生活が垣間見れ、たまらない気持ちになりました。

当日まで一緒に笑いながらしゃべっていた友達がいなくなるということ。自分は助かったのに助からなかった人がいるということ。あの震災が直接、あるいは間接的にもたらした被害の甚大さを考えさせられます。

直接被害は直接的に目で見て、数字で知ることが可能です。しかし数字に見えない間接的な被害は、まだこれから発生することが十二分にあるだろうと推測します。

2日目に活動を行った仮設住宅では、一緒にお茶をいただきながらお話くださった方がいました。

「家も田んぼもみんな流されたの。でも家族は無事だった。ただ、おばあちゃんが3カ月の避難所生活の間に認知症になって、それまで全然元気だったのにストレスからか、半身不随になって、今施設に入ってるの」。それまで笑いながら、軽いテンポでしゃべっていたその方が過ごしてきた震災以降の日々を思うと、大変という一言では表現できず、ただ頷きながらお話を聞くことしかできませんでした。

現地の方も驚くほどの雪の中、寒さで真っ赤な手になりながら粕汁を作り配っていた学生たち。餅つきマイスターのようなお父さんやお母さんに教えを受け、どんどん餅つきが様になっていく学生たち。メンバーみんながいい顔でそれぞれ自分のできることを行っており、このメンバーの一員として一緒に活動に参加できていることが嬉しかったです。

これまで何度も参加させていただき、本当にありがとうございました。今後、私は大谷大学の復興支援バスに乗ることはありませんが、それは活動を止めることではありません。微力ながら、今後も被災地の復興支援に関わっていくつもりです。

今回が最終便になるという私の思いを汲んでくださり、メンバーの一員として参加させていただけたことに心から感謝しております。
本当にありがとうございました。
【教職員/女】

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初めて参加した前回は、活動中と活動後の現実感にしばらく違和感が続きました。ある方にお話したら、「どちらも現実だよ」と言われました。

確かにどちらも私の現実です。活動で体感したその現実を遠いものにするか、身近なものにするか、私次第だと思います。日々の生活の中で「被災地」とは、目の当たりにする現実ではないけれど、その現実は確かにいろんな人の思いと存在しているし、確かな事実です。前回は、現実のギャップに戸惑うしかなかったけれど、どちらも現実ということを私自身の中で受けとめ、その意味を考えていきたいです。

二度の活動の中で大切な事を教えてくれたボランティアバスだけど、いつの日かなくなる事を願います。どれくらい先の事になるのかわからないけれども諦めない限り必ず、願いをもった人の集いはそれを実現すると信じて進みたいです。私もその一人でありたいし、それを見失わずにいたいです。

TATの皆さん、現地でお会いした方、支援センターの方、かげながら支えてくださっていた方々…。
有難うございました。
【3回生/女】

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今回の被災地ボランティアを通して考えた事は、被災地の現状と被災地に住む人達についてです。

まず、被災地についての感想ですが、仙台市若林区荒浜で周囲を見渡した時に言葉が出ませんでした。ニュースなどで状況を知っているとはいえ、自分の目でみるのとテレビでは、雲泥の差があります。また、そう思ったのも何処かで自分の身近な事件ではないと思っていたからでしょう。なので、私は今回この被災地視察でとても勉強になりました。情報や状況などをみる場合は、まず現地にいくのが一番なのだと言う事を感じました。

次に、被災地の方々ですが、今回経験させて頂いたボランティアで仮設住宅の人達の感想として、初めに老人ホーム、グループホームにとても似ていると感じました。
しかし、私が以前お邪魔させて頂いた老人ホームなどと比べると仮設住宅の方々は、とても元気な方たちが多く、皆さん仲良く日々を過ごされている様でした。しかし、仮設住宅の中の大きさを見せて頂いきましたが、とても小さく、4畳程度の部屋にキッチンがついたものでした。お話を伺ったところ、個人としての時間を、作ることも難しいそうです。

私は、今回のボランティアでのお食事提供の際に仮設住宅の人達が見せてくれた笑顔がとても印象的です。なので、次回のボランティアバスにも出来る事なら参加したいです。
【1回生/男】

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ボランティア活動として東北を訪れるのは今回で6回目になるのですが、実はかす汁などを提供する活動をしたのは今回で初めてでした。前日の仕込みは大変な作業だったと思いますが、皆で力を合わせて美味しいかす汁とお餅を振る舞うことができたということは、本当に意味のあることだと思います。

今回、私はかす汁を器に盛ることをしていたので、ゆっくりと仮設住宅に住む方々とお話する時間があまりなかったのですが、かす汁を食べに来てくださった方々の笑顔を見ているだけで、嬉しい気分になっていました。私が今回心掛けたことといえば、笑顔に対して笑顔で返すということぐらいです。私にはそのようなことぐらいしかできませんが、笑顔と笑顔が行き交う場に身を置けたということは、今後の東北の復興を考えていく上で、大切なことではないかと思っています。

また、私がたまに東北に行く時に、今回のように活動できるのは、常日頃から復興支援活動を行っておられる現地の方々のお力が大きいと思っています。毎度のように東北別院にはお世話になり、活動の際には指導をしてくださることに関して、非常に感謝しています。

そのおかげで、また次回も機会があれば安心して東北を訪れようと思うことができます。今回のボランティア活動でも、たくさんの出遇いがありました。大震災を経験しても力強く現地に生きる方々、現地で復興支援に取り組む方々、そして今回のボランティアバスに共に乗った方々。様々な方々との出遇いこそが、ボランティアの輪を広げ、復興支援につながっていくのではないかと思っています。
【3回生/男】

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被災地の方から、逆に元気を頂くくらいでした。

やはり、この目で被災地の現状を見届けられたことは大きいです。イメージだけではない、「震災」を少しですが、体感することができました。

印象に残っている言葉は、「復旧は進んでいるけれど、復興はまだ」です。故郷に住めなければ、生活はできません。その環境を整えるためにもまだ、支援はこれか
らも必要なのだと思いました。
【2回生/女】

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今回、第8便に続きボランティア活動に参加させていただくことになり、真冬の時期でしたので、いろいろ心配に思いながら出発しました。雪化粧となった被災地を視察しましたが、やはり復興と言うにほど遠い状況です。

いまは閉鎖されている閖上中学校を訪れた際、悲痛な思いが書き込まれた机があったことは衝撃的でした。お餅や粕汁などを提供させていただき、とても笑顔あふれる場面があった一方、なかなか仮設住宅から出てこられない方もたくさんいらっしゃったので、まだまだ表面に見えないことが多々あると感じました。
今後も何度でも足を運びつづけ、いろんな観点から2年前に発生した震災の意味を考えていきたいと思いを新たにしました。

今回もご支援くださった教職員の方々、現地復興支援センターのみなさん、ありがとうございました。
【教職員/男】

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