第22便

TATも、被災地へ行くことも今回が初めてでした。
特に印象的だったのは、初日の視察で伺った閖上です。中に「わたしたちの街」というオブジェが展示されていたのですが、小学生の生の声がそこにありました。被災前、被災時、これから、という3つのテーマで作られた街は、穏やかに見えてとても奇抜でした。遺体と書かれたブルーシート、歩道橋の下を進む瓦礫と車、津波から逃げる親子。あの日の光景を表現する、その生々しさが今でも瞼の裏に焼き付いています。また、そういったことを経験したからこそ、これからの街には小学生らしい発想の建物が沢山ありました。津波へ潜る潜水艦、巨大なロボット、背のとても高いビル、その上にあるヘリポート。どうすれば逃げられる、どうすれば………と必死に考えた跡がわかりました。
6年たった今でも被災地の方の心には、見えない傷跡があり、それは他人の手によっては治せないのだな、と強く感じました。でも、だからこそ寄り添わなくてはいけないのだと思います。色々と初めてのことが多く、目新しいことばかりの2日間でした。
また機会があれば、TATに参加してみたいです。
【3回生/女性】

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あの日から約6年が経ちました。『もう』6年経ったのかと私は思っていました。しかし、このTATボランティアに参加することでその考えは変化し、『まだ』6年しか経っていないのかと痛感することになりました。2日間を通して、6年経った今でもあの日は終わっていないのだと感じました。語り部の話はテレビ越しで見た被災者の話よりも重みがあり、何もない荒地にはつい数年前まで町があり、活気があったのです。これは現地に実際に行かなくては分からないことだと思います。被災者の中にはあの日に取り残されている人も居ました。
今回のボランティアでは縁日をしました。現地の方々と交流し、ゲームをしたり、お話をしたりと楽しい時間を過ごす事が出来ました。現地の方々は老若男女問わず元気な人たちが多く、逆に元気を貰うほどでした。現地の方々はボランティアの日をとても楽しみに待っていたと言っていました。
このTATボランティアに参加して後悔は一切ありません。培ったものはたくさんありました。大谷大学の学生として改めて頑張ろうと思えるようになりました。今後、こうしたボランティアなどがあれば是非ともまた参加したいですし、被災地へプライベートで赴きたいと思っています。東日本大震災の復興はまだまだこれからです。
【2回生/男性】

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地震発生当時、大阪の自分の家でいつもよりも少し大きな揺れを感じました。そして、情報を得るためにテレビをつけた時に、東北の状況を知りました。しかし、どこか他人事であまり実感が湧きませんでした。今回の活動を通して、少しばかり、これが現実で自分がいつか体験するかもしれないことなのだと感じることができました。
初めてのボランティアで至らぬ所が多かったのですが、この経験を生かし、「ボランティア活動を経験しなかった自分」から「ボランティア活動をした自分」として、少しでもいい方向に変わっていければと思っています。
【3回生/女性】

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TATに参加させていただくのは、四回目です。
仙台駅で、お土産屋さんのおばちゃんとこんな会話をしました。
「京都までバスで帰るので、日持ちするものはありますか?」
「遠いところから来たのねぇ。学生さん?明日授業とか大丈夫?」
「大丈夫です、大学のボランティアで来たので。」
思わず口から出た言葉でしたが、言った直後になんと恩着せがましい言葉を言ったのだろうと思いました。勿論、おばちゃんは「ありがとうねぇ」と言ってくれて、試食の牛タンをくれました。私は、何をしに来たのだろう。ありがとうと言わせに来たのかな、と考えていました。
するとふと、地元の(恐らく)大学生とこんな会話をしたことを思い出しました。
「お前たち、なにで来たの?」
「バスで来たで。」
「そうなんか……なんか、ありがとな。」
そのときも、ありがとうと言われました。このありがとうは、不思議でした。何に対してのありがとうなのでしょうか。大学生は、何を考えていたのでしょうか。向こうも、ぽろっと出た言葉のようでした。少し困惑したように、それでいて照れ臭そうに、言っていました。
ありがとうという言葉は不思議です。私の卑しさを写し出すような言葉でもあり、人の何か咄嗟に出た気持ちを包む言葉でもあります。私も、何か知りたくて、言ってくれた方々の想いに近付きたくて、仙台に、ありがとうと言って東北を後にしました。
【大学院/男性】

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今回でTATは2回目の参加になります。去年は山形の皆さんに元気をいただいてばかりで何も残せなかった私ですが、今年は私から元気を届けるぞ!という気持ちでTATの22便に臨みました。
初日は、少人数のグループに配置され、石巻市立寄磯小学校の運動会に炊き出しボランティアに参加しました。現地では一般の部として3種目に参加させていただきました。たくさんの現地の人と交流ができ、楽しい時間を過ごせました。
その帰り道では門脇方面を案内していただきました。沿岸部に近づくにつれ、白くて大きな真新しい堤防が目に入りました。実際に波がきた高さを示す看板、高く積まれた土、新しい道を作るための工事中の看板、家が建っていたであろう場所には土台と私の背丈より高く伸びきった雑草だけが残されていました。テレビで見るよりもずっと怖く、訴えかける「恐怖」がそこにはありました。静かな時間が流れる岩手県で、今も残る震災の爪跡を全身で感じました。
2日目の出張大谷大学文化祭では想像以上の人たちが来てくださり、大盛況で終わりました。活動をする中で被災された方からたくさんお話しを聞くことができました。別れ際に「6年経っても来てくれてありがとうね」と言われたのがとても心に残っています。大きく壊された街は新しく作り直されていっていますが、6年前に起きた震災のことを私はいつまでも忘れないでいようと強く思いました。
今回の活動を通じて、たくさんの人と交流を持つことができてとても嬉しかったです。本当に楽しく、あっという間に終わってしまいました。同級生だけではなく、上級生、下級生とも協力して過ごすことができました。私なりの形で元気を届けることができたと思います。次回TATがあれば必ず参加したいです。学生の皆さん、先生方、現地でお世話になった方々、本当にありがとうございました。
【3回生/女性】

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今回、はじめて参加させていただき、メディアによる放送はほんの一部分であったと思いました。東日本大震災が起こった6年前、私は中学2年生でした。あの頃の私は震災なんて人事で、自分に関係ないことを何度も何度も放送して欲しくないと思っていました。被災者の方は、6年前のことを深く色々考えている一方、報道は年に1回の被災した日3.11だけになりましたが、災害で苦しみ続けただろうし、今も苦しんでいます。国は復興のために何かしらしているって言われても、私の目には見えないし、ちっともやっていないのではないかと正直思いました。実際体験したというわけではない私になにか出来ることがあるのか、ボランティアを通して何が出来るのかと思い今回応募させて頂きました。
宮城県の都市部は実際、京都と同じような景色で、6年前の報道は大騒ぎしすぎだったのではないかと思っていましたが、津波の被害があった場所に行くと、肌で感じるもの、目から見えるもの、すべてに言葉を失いました。6年経ってここまでしか進んででないのか…、どう受け止めたらいいのか分かりませんでした。
次の日の出張・大谷大学文化祭に、人が集まるのだろうか、楽しんでいただけるのか、どういう顔をして会ったらいいのか不安でした。でも、来てくださった方々にすごく楽しんでいただき、小さな子どもから大人の方までみんなが本当に笑顔でいてくださった事が今回最も嬉しかったです。私よりも小さい子たちがこんな震災を経験したのか…、と辛く感じ、同時に心が強いなって思いました。そして、「ありがとう」ってお互い言い合える、素敵だなって。
京都に帰ってもなにか出来ることがあるんじゃないかと思いました。ボランティア活動の時間だけなにか一生懸命行動するという事は、それは間違ったボランティアの周知になってしまいます。今回肌で感じたこと目に見えた景色、気持ちを忘れずにしたいです。1日1日を大切にしたいし、出会った人との何気ない時間を大切にしたいと思いました。
【2回生/女性】

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実際に被災地に行って見聞きしないと分からなかったことが沢山ありました。現地の人たちに明確に何かしてあげたと言えることはないかもしれないけれど、私たちがこうやって考えるということ自体が価値あることなのだと思います。
【3回生/男性】

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私はボランティアに興味があり、今回TATに応募しました。
今まで震災をひとつの出来事としか捉えておらず、正直自身の生活とはかけ離れたものであると、あまり関心がありませんでした。今回、初めて被災地に行き、被災者の方のお話しを聞いたり子供たちの作品を見たりしてみて、支援に加えて震災当時を知ることも重要だと思いました。縁日ではたくさんの現地の方々とふれあうことができ、とてもよかったと思います。私自身もすごく楽しく過ごせました。
今回がボランティア初参加だったので、自分には何もできていないと思うのですが、とても有意義な時間だったので、また機会があれば参加したいと思います。
ありがとうございました。
【2回生/女性】

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今回の大谷大学TATに参加して本当に意味のある2日間を過ごしたと思います。1日目は宮城県の荒浜地区と閖上地区で被災した場所を訪ね、被災した方の話を聞き、震災の悲惨さや命の大切さについて改めて考えました。実際に被災した方が『津波で流されてきた物は瓦礫ではなく自分達が築き上げてきた記憶なんだ』という言葉がとても印象に残りました。
2日目は出張大谷大学学園祭ということで地域の皆さんと交流をし、たくさんの人たちと交流させて頂きました。皆さん本当に元気でとても楽しかったです。震災を経験した子供達が無邪気にはしゃいでる姿を見てなんだか嬉しい気持ちになりました。この2日間で色々な方に出会いそして触れ合えた経験を忘れず宮城県でやった事を今度は地元でできるように心がけていき、今後の学生生活を有意義なものにしていきたいです。
【1回生/男性】

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今回初めてボランティアに参加させていただいて貴重な体験をすることができました。
1日目は視察をさせていただきました。もう、再建することができない地区を見たり、「閖上の記憶」の語り部さんのお話を聞くことで東北の方々の気持ちを直に感じ、言葉にあらわせないようななんとも言えない気持ちになりました。
2日目には出張大谷大学学園祭という名の下、ミニ縁日を開かせていただいて、様々な年代の方々に来ていただきました。皆さんに笑顔が見えてとても嬉しい気持ちと共にまたこちらに来させていただきたいと強く思いました。
ボランティアをここだけに留めず、日頃の生活から出来る事をコツコツと積み重ねていきたいと思います。
【2回生/女性】

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今回のTATで訪問した寄磯や石巻には数年前に訪問したことがあります。特に門脇小学校周辺に訪問したときは数年前と比べて徐々に復興から復活に向かっているんだなと実感できました。寄磯小での運動会は、全校生徒が少ないのにも関わらず何百倍くらいの元気な子どもたちとふれあえて逆にこちらが元気をもらいました。活動最終日の出張大谷大学学園祭では、子どもたちはもちろん、老若男女を問わず遊んだり、食べたりしていただきとても嬉しかったです。この起きてしまった事実を風化させず未来の子どもたちに受け継いでいけたら良いと思います。
【2回生/男性】

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初めて被災地を訪れ、被害の大きさを自分の目で見て、耳で聴いて震災の悲惨さを目の当たりにしました。
震災から6年が経ち、少しずつ復興は進んで来ていると思いますが、津波の爪痕は残っていてまだまだ時間がかかります。
実際に足を運び、感じたことを多くの人に伝えることで少しでも被災地への関心を高め、支援の輪を広げていくことが私たちにできることだと感じました。
そしてボランティア活動を通してたくさんの人との繋がり、その出逢いを大切にしていきたいと体感すると共に、これからの人生の生き方、考え方を学ぶことができました。
ありがとうございました。
【4回生/女性】

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「就職活動で迷ったらうちの農場においで!」と、育てているネギについて話してくれたおばちゃん。「久しぶりに知り合いと再会できた」と目尻にシワを寄せて嬉しそうに話すおじちゃん。ボール投げで一等賞を獲得し、応援隊の大歓声に手を繋ぎあって喜んだ、シルバーカーを押して歩くおばあちゃん。この活動に参加しなければ出逢うことがなかったであろう方々との交流が私はとても嬉しかったです。
この活動が終わる頃にはヘトヘトに疲れているだろうなと予想していましたが逆でした。震災と向き合う方々、この活動に尽力される方々に思いを馳せると力が湧いてきます。活動を共にした学生ボランティアの方々、大谷大学教職員有志の方々からは直接良い刺激を受け、感化され、尊敬と感謝の思いでいっぱいです。
これからもこの活動を応援し、関わっていけたらと思っています。ありがとうございました。
【3回生/女性】

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今回、TATの参加が初めてになります。被災地を視察しました。津波で町は壊されてしまっていました。自分はここに町があったの?と思うぐらい静かな所でした。
「閖上の記憶」の語り部さんのお話は本当に心に響くものでした。家族や友達を大切にし、感謝しないといけないと思いました。
2日目は炊き出しと縁日をしました。なんといってもみなさんの笑顔が最高でした。子供たちもものすごく元気いっぱいで自分も一緒に楽しめました。「六年経っても来てくれてありがとうね」「バスしんどかったやろ?」「ほんまにありがとう」と言っていただきました。この方たちが震災を経験されているのかというぐらい本当に元気でした。自分も一生懸命日々過ごしていかないといけないと思いました。
本当に六郷地区の方には感謝しています。素敵な時間をありがとうございました。
【1回生/男性】

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TATを通して、自然災害の怖さを改めて感じました。
きれいな青、潮風の匂い、今すぐにでも飛び込みたくなる海はどれだけ多くの人々の命を奪ったのかと思うと、とても怖くなりました。また、佐々木さんの話を聞き、日常生活の大事さ、家族や友人といつでも会えることが特別なことなんだと言うことを知りました。
お話を聞いているとき何度も涙が流れそうになりました。奥さん、ご両親、そして娘さんを亡くされてどれだけ辛かったかと想像するととても耐えられるものではありません。その中でも私たちに語り部として伝えてくださる事がどれだけの災害だったのか、後世に残すべき重大なことなのかと改めて感じることができました。
高校生2年生のとき以来の東北でしたが、訪れるたびに色んな被災者の方の表情、景色を見せてくれます。今回のTAT22便でボランティアは最初で最後になってしまいましたが、また違うかたちでも携わりたいと感じた1泊2日でした。
【4回生/女性】

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今回、TATに参加させてもらい、仙台を訪れた。ボランティア活動に参加するのは初めてで、東北に行くのも初めてだったので、とても楽しみにしていた。被災地に行くのも、被災者に会うのも初めてだった。私を待っていたのは、テレビで見た瓦礫の山や、大変そうにしている被災者の方々などではなく、明るい人々と、近畿圏と何ら変わらない街並みだった。「6年という期間でここまで復興が進むのか」というのが初めの感想だった。
初日、被災地の視察に行き、被害の多かった地区やそこで暮らしていた被災者の方の話を聞いた。そこで見聞きしたものは、私がテレビ等で知っていたこととは比べることが出来ないほど深く、重いものだった。
当時者の方々は、その時に見たもの、聞いたもの、感じたもの、その時になにを考え、どう判断し、今、どのような思いで今を生きているかを伝えて下さった。それらはお1人お1人違うもので、全く同じ話は違う人から聞くことはできない。当然ニュース等で知ることもできない。とても貴重な話だった。そして、衝撃的だった。もしも自分が…、と置き換えて考える事も出来ないほど、想像を超えていた。
この時、私が初めに感じた「6年という時間で復興はここまで進む」という感想が間違っているものだと気づいた。「現地の人やそこに訪れたボランティアの方々の不断の努力が、たった6年で復興をここまで進ませた」というのが真実だった。時間が復興を進めたわけではなかった。6年間、被災地の為になにもしていなかった自分に、とても後悔した。
2日目、縁日という形で被災地の小学生と関わった。みんな、被災したとは思えないほどとても元気だった。しかし、そこにいた小学生達も、6年前に被害に遭っている事は事実であり、その時のこともはっきり覚えているだろう。しかし彼らはそれを思わせないほど強く、明るく生きていた。自分がもし彼らと逆の立場なら、あれほどに元気になれないかもしれない。なぜみんなあんなにも強いのだろうかと少し考えた。もしかすると、まだ未来が長く、将来がなにも決まっていないからかもしれない。過去よりも、これからの未来の方が長く、楽しいからあれだけ強くいられるのかもしれない。それを無意識にわかっているのではないだろうかと思った。そうだとすれば、その事は私自身にも当てはまる。私もまだ過去よりも未来の方が長い立場である。学生の間に時間を無駄にし、弱々しく生きていれば、再び後悔するかもしれない。6年間被災地に関わらなくて後悔したように…。そんなことを子どもたちが教えてくれているような気になった。「今を生きろ」と言われている気がした。
彼らの元気は私に、もう少し自分に誇りを持ち、真面目に生きるべきだと教えてくれた。今回のTATでとても多くの経験をさせて頂いた。この経験を多くの人に伝える事が一番大事な事かもしれないけれど、それよりも先に、まずはこの活動で得たものを忘れないように努めようと思う。
【2回生/男性】

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今回私は牡鹿半島にある寄磯小学校の運動会へ参加させてもらい炊き出しをしました。小学校の運動会を見たのは何年ぶりだろうととても懐かしくなったと同時に、私はいま生活している京都では特にボランティアには参加していないのに、東北のボランティアには参加しているという自分の矛盾を感じ複雑な気持ちにもなりました。
寄磯小学校のある地域は漁業の町ということで、船の旗を幕のように運動場に張っていたのがとても印象深いです。全校生徒が10数人という少人数でしたが、みんながソーラン節を踊っている姿や今まで練習してきたことを行っている姿はとてもたくましく見えました。
運動会終了後は石巻市へ移動し、「がんばろう!石巻」という看板がある場所へ初めて行きました。津波が来た高さを示す柱があり、6.9メートルの高さを初めて感じました。住宅が流され、周りに何もないところにあるその柱を見上げると、とても悲しい気持ちになりました。冬の寒い日にあんな高さの津波がいきなりやってきて生活を奪われたということ。震災から6年経ってはいますが、本当につい最近のように思えます。
2日目には公営住宅地で炊き出しと交流会をし、地元の方とお話ができて楽しかったです。子どももたくさん参加してくれて、大学生のみんなと楽しそうに交流していました。いろんな人が「来てくれてありがとう」とおっしゃっていた姿が印象に残りました。今回参加して見たこと聞いたことは周りに伝えていきたいと思います。
【教職員/女性】

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