第31便

やはりというか今回は非常に気温が高く、前回と比べても休憩時間を多めに取っての作業となりました。

あまり長くはない作業時間の中で、果たして自分は十分な働きをすることができたのだろうかと力不足を感じた一方で、全体を見た時には各自の役割を分担することで想像以上にスムーズに作業が進められていたように思えます。

無理に限界まで活動することが、熱中症といった危険に直結するような環境だからこそ、個人の力ではなく集団の力を頼った活動の力強さを感じました。

しかしながら、細かな破壊がどこまで広がっているのかわからない傷付いた家屋や、建屋の基礎から隆起して大きく傾いた本堂といった被害を目の当たりにすると、我々が直接支援できる作業は清掃活動が限界で、根本的な復興には桁違いの労力がかかるのだと感じざるを得ません。

それでも、今後も可能な限りボランティアに参加して、負担を軽減できるよう手助けができればと思います。

【学生/男性】
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震災が起こってから半年近く経っていても復興が進んでおらず、大変な思いをしている方々がたくさんいらっしゃるのは29便、30便の時と変わっていませんでした。

家財の運び出しをしている際に、お寺のご住職や坊守さんが家財を懐かしんでいる様子を、何度も目にしました。


この震災がなければ、今までと変わらず思い出の詰まったものたちと時を重ねていくはずだったのにと思うと、とても辛かったです。


2日目の活動が終わった後、現地の方から「この震災があったから皆さんと出会うことができた」というお言葉をいただきました。震災で大切なものをたくさん失い辛い思いをしているのは現地の方々なのに、何不自由なく生活している私の方が元気づけられました。


この2日間を通して感じたことは、元気をもらっているのはボランティアをさせていただいている私たちの方だということです。


毎回元気をくださる現地の方々や、私たちを受け入れてくださる教務所やボランティアセンターの方々への感謝を忘れず、今後の活動にも参加させていただきたいと思います。


3日間ありがとうございました。


【学生/女性】
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地震発生から半年以上たつが、ご自宅の整理なとせ人手のかかる作業が残っていたり、傾いた鐘楼など危険な状態のままだったり、まだまだ震災前の状況にはほど遠いのだなと感じました。

活動1日目のように山間部で人が集まりにくい地域では、より復興作業が進みにくいのかなと思いました。

私はおっさんの大学生ですが、学内に知人が少ない私にとっては、いろいろ話せる人間関係が出来て本当に良かったです。

活動の合間には、就職の話や地域同士の話で盛り上がったりしたので、学年や学部に関係なく人間関係を広めるのには良いと感じました。

このような機会をいただき、ありがとうございました。

次も参加出来ればしたいですが、非常に意味のある経験になるので、出来るだけ若者たちに参加機会を与えてあげて欲しいと思います。

【学生/男性】
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3月に参加して以来のボランティア活動でしたが、まだまだ片付けすら手が付けられていないところも多いことを実感しました。

そして被災地で目につくのは、大きくうねって路肩が崩壊した道路や、地面が大きく隆起・陥没して建物に大きな損傷を与えている様子です。

この様相が東日本大震災の時とは違った種類の地震被害であり、復旧や片付けを遅らせている一因かと推測しました。

家具や食器などの生活用品と一緒に、さまざまな賞状や写真、習字の作品などを片付けていると、住んでいた方の生活と思い出を一瞬のうちに変えてしまう地震の恐ろしさにあらためて気付かされます

暑い中、熱中症にならないようにこまめに休憩をとりながら、互いに声をかけあって頑張ってくれた学生たちは、本当に心強かったです

この経験を家族や友人にぜひ伝えてください。それによってまた支援の輪が広がっていくことを願っています。

【スタッフ/男性】
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29便以来、能登へは2度目の参加でした。

宿泊等でお世話になった教務所の方が「世の中に日々いろんな出来事がおこるなかで、能登の震災報道は減っているが忘れないでほしい」と仰られていました。

震災という出来事、復旧復興への現状と課題…。

どういう意味で言われたのか聞き取れませんでしたが、街の営みが見えるバスの車窓からは半年前の震災から一見落ち着きを取り戻したかのように見えました。

29便時に比べて他の支援車両とすれ違うことはあきらかに減り、道路の崩壊はずいぶん補修が進んでいましたが、時折、不自然なカーブには震災の痕跡を思い出されました。

ボランティアの与えられた時間と役割が済めば、私たちは何事もなかったかのような自分たちの日常に戻りますが、帰路についている今「忘れないで」の言葉が自分に残っています。

初日に訪れた寺院の破損は酷く、何からすべきか呆然としましたが、同じく清掃にかけつけた10名ほどの高齢のご門徒方の希望もあり、ご門徒方が集う部屋の清掃に集中的に取り組みました。

棚や畳は次々と運び出され、粉塵まみれに傾いたお内仏は姿を整えられ、活動終了後は塵の舞う室内に集い、全員で勤行が行われました。

噴出る汗と粉塵まみれのお内仏での勤行は忘れ難く、真宗学外専攻の学生もいるなかで、これが大谷大学の姿なのだと実感しました。

震災ボランティアというかたちで集まったメンバーですが、活動根拠に「ともに歩みたい(TAT)」という願いがありますが、大谷大学が震災ボランティアに行く理由は、ここにあるのだと感じました。

「忘れないで」いたいことは、「ともに歩みたい」という願いでもありたいと思いました。
連れて行ってくださり、迎え入れてくださり、ありがとうございました。

【学生/女性】
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今回は、私にとって初めての復興ボランティアだった。

2日目・3日目の活動場所ともに、家財道具の量が多くて気が遠くなる作業だったが、全ての物を出し終えた時に達成感を感じた。

また、完全に復興したとしても、震災前の日常は二度と帰ってこないんだということを知り、他人事ではないなと思った

【学生/男性】
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私は、初めてTATに参加しました。

このボランティアに参加するまで、
能登半島地震の発生から約7カ月経っているので、かなり復興が進んでいるのではないかという先入観に近いものを持っていました。

しかし、そこに着くまでの道中の景色というのは、家の屋根にブルーシートが覆い被っていたり、バイパス道路(峠道)で道が崩落してバキバキに亀裂が入っていたりなど、心が痛む凄惨な光景ばかりでした。

活動場所においても、ガラスがひどく割れていたり、床が抜けているあるいは抜けかけていたり、土壁が一面まるごと倒れていたり、液状化で床が盛り上がったりするなど(他にも色々あります)、とても凄惨な状況になっていました。

活動場所での作業は、とても過酷な環境でした。

猛暑に加えてマスクが外せないので、意識もうろうの中での作業となり、当時を振り返るとボランティア気分に浸るほどの余裕が全くなく、正直、ただキツい作業を行っているだけのような気分でした。

ここまでは辛かった事ばかりを書きましたが、逆に心が暖まることもありました。

住民の方々が「ありがとう」と声をかけてくださったり、差し入れをくださったりするなど、この3日間は今まで生きてきた中で一番感謝された日々になりました。

また、活動最終日の最後に現場監督さんの挨拶では「この震災で僕たちは多くのモノを失いました。しかし、得られたものもあります。それはあなたたちに出会えたことです。この震災が無ければ、僕はあなたたちに会うことはなかったでしょう。この出会いは宝物です」と、仰いました。

これに対して、私は確かにそうだなと思いました。不謹慎かもしれないですが、この現場監督さんに会えたこともご縁があったのかもしれないなと感じました。

最後に、まとめると、この3日間はとても人生の中で一番キツい日々でもあり、人生の中で一番人の暖かさや感謝に触れられた期間でもありました

今後も機会があれば、このTATに参加したいと思っています。

【学生/男性】
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TATはおろかボランティアへの参加歴がない中で、縁あって今回のTAT31便に参加させていただきました。

能登地震による被害状況は、報道番組や新聞アプリなどで確認していましたが、実際に被災地へ足を運び、瓦礫や家財の搬出作業を手伝ってみると、着実に復興へ進もうとしていながらも思うように進まない現実を突きつけられたような気がしました。

また、災害ゴミを指定の処理場へ運ぶ途中、あちこちで道路が液状化現象によって隆起している状況を見て、たった1回の大地震で家屋のみならず生活までもが崩壊してしまう自然災害の非情な様が、これまでよりも恐ろしく感じました。

しかし、どん底に突き落とされた状況下であっても、復興へ向けて奮闘する現地住民の方々の「意地」も感じ取ることができ、作業現場を出発する際には「また来てね」と笑顔で手を振ってくださったのが印象に残りました。

あるお寺の坊守さまから輪島塗の箸を頂きましたが、ボランティアには災害復興支援のみならず、長い年月を経て継承された伝統技術の維持という側面もあると思いました。

今回のTATによって得た経験を糧に、自分なりにできることを見つけていきたいと思います。

【学生/男性】
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自分は、今回のTAT31便が初めての参加でした。

地震で大きな被害を受けている姿や、復興がまだまだ進んでいない様子は、テレビやニュース等で見ていたので理解はしていたつもりでした。

しかし、いざ現地に行って見てみると、道路などは通れるようになっているもののまだまだ復興が進んでおらず、地震によって崩れた壁などがまだ放置されていたり、液状化によって土台ごと隆起している家など衝撃的な光景の連続でした。

実際に現地に行ってこの光景を見れたことは、絶対に活動に参加していなかったら見れなかったので、僕の人生で忘れられない光景になりました。

活動の中で記憶に残ったことが2つあり、1つは活動先のお寺で門徒さんにいつからこのお寺の復興を行っているのかと尋ねた時に「今日から作業が始まった」と仰られたことです。「能登半島の被害が最も大きなところにはボランティアなどが集まるが、このお寺のようなところだと人が中々来てくれない」とも言っておられました。

地震発生から7カ月が経過した今でも、支援は必要な状態の地域はいくらでもあり、その為に後回しにされている地域もあるということを知ることが出来ました。

2つ目は、お寺で畳を清掃する作業を行っていた時に「この畳は何回もやらないと綺麗にならないから気にしなくていい」と言われたことです。

自分の中でその畳と被害を受けた地域が同じように感じ、どちらも1回の活動じゃ元通りにはならず、何度も何度も復興のための活動をしないと元通りにはならないとように思いました。

今回のTATの活動は、復興の中のたった1回分にしかならなかった
かもしれませんが、こうやって色んな人がその1回を重ねていくことで、少しずつ元の姿に戻っていけるということに気づきました。

僕は、これからその1回で止まらずに2回、3回とやって行きたいと思いましたし、もし参加できなくても他の人に「こういう活動があるんだけどやってみないか?」と1回目を勧めることを行っていきたいと思いました。

【学生/男性】
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石川県へは、今回初めて参加させていただきました。

石川県でのバス運行中に拝見した、崩壊した建物や道路などが印象的でした。
ですが、それ以上にボランティアに参加された方々や、現地で協力してくださった方々が非常に多くおられて「ひとりじゃない」と人の暖かさを感じることができました。

また機会があれば参加して、TATの活動をつないでいきたいと思います。

【スタッフ/男性】
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最初にお手伝いをさせて頂いた地元の方から「テレビはもっと中心地ばかりを放送して、ここら辺りの余り被害がなかったところは放送してくれん。だから人が全然こんくて困ってた」というお話を聞き、私たちがあまり作業が進んでいないところに赴き、手伝うことによって少しでも助かったと思って貰えることが嬉しい

 能登半島地震から半年以上経っており、実際に行って現状を見るまではもっとマシなのだと思っていた。しかし、訪れてみると、現場に行くまでの道路が半壊したまま放置されていたり、液状化し膨れ上がった部分や凹凸が酷かったりで、完全な復興にはまだまだ時間がかかりそうだった。

【学生/男性】
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