第1便

経験して まず思ったことは、色んな支 援の輪を広げていくことが必要ということです。中途半端に参加して受け入れられるか、必要とされているのか、かなり心配でしたが、実際復興はまだまだで人 手は足りてないし、どんな小さな支援でも行動にしていくべきだと感じました。

そして今回見たこと、聞いたこと、感じたこと、経験したことを発表する場を幼 教の先生方に設けてもらいました。これも支援の輪を広げることに繋がると思っています。今回は本当に良い経験になりました。ありがとうございました。これ からも支援を続けていきましょう。
<1回生:男>


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今 回は映像では感じ取れない、におい、雰囲気、現地人の生の声を聞くために参加しました。現地にいくことによって自分の思ってた以上のものを感じれまし た。現地には生活感があるものが散乱していて、ここには人が生きていたんだ、と痛感させられました。もちろん、今は到底人が住める環境ではない。住めるよ うに毎日ボランティアの人が泤をかき出している。しかし、自分が参加してみていくらやっても進んでる気がしなかった。自分の力は小さいものだと痛感した。

そ れでも現場には明るい声、笑い声が作業中終始あったことにビックリした。あんな現場がありながらみなさんはひたすら前を見続けてることに心打たれまし た。現地住民の方々の『関西では石巻市のことは放送されてるのか?』という質問が忘れられない。ので自分が現地で肌で感じたことは伝えれる限り伝えて行き たいです。もちろん感じたことの中には言葉にできない部分もあります。100%とは行きませんができるだけ伝えて行きます。
<1回生:男>


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東日本大震災ボランティアおつかれまでした。
本 当にいい経験ができたと思ってます。けど行っただけで自分の自己満足になってはないかと思ったりも不安です。石巻に行ってたくさん現状を見てたくさん 思ったことや感じたことがあるのにこれをどう関西に帰ってきて伝えたらいいのか自分が情けなくて辛いです。歩いていると保育園をみつけ中に入ると15時 46分に止まった時計を見つけました。

周りには子供たちのお帳面や靴がグチャグチャでどろどろになってて、先生や 子供たちはどうなったんかな、助かったん か本当に、悲しくてたまりません。わたしは教員になるという、みじかな現場の中で、津波に襲われきっと先生たちは必死で子供たちを守ってたんやろなぁって 感じました。現場のおじさんに聞いた話では、家とかにいた子供たちは、みんな地震が来て、まず怖くて押し入れに入っている子供たちがみんな津波にやられた そうです。

私たちが現場のアパートのヘドロを片付けてると、2階の自分の首くらいまで水が来てる跡があったり、 すごくつなみが高かったんだということがわかりまし た。そして、洗濯物もまだ洗濯機の中に入ったままとかどろどろになった携帯電話とかプリクラ、写真。ほんとうに日常生活を普通に暮らしていたときに被害は おきたんやというこどが現場にいき伝わりました。私は3月11日の次の日が誕生日で10代最後がこんなんになってしまってTVとかもぜーんぶこの話で正直 最悪な誕生日やわぁとこのボランティアに行くまで思ってました。だからほんとに現場にいきTVでは伝わらないことを学び東日本大震災と向き合えてよかった です。

現 場はテレビでは感じることがぜったいできないくらいの臭いがしました。わたしたは2日いるだ けでもほんとに気分が悪くなるくらい臭くて、ちっちゃい虫もたくさんわいてて、ここは日本ではないって思うくらいの場所でした。今私が当たり前にくらして るとこはなんの臭いもないし食べ物も住むとこもあるの に、三ヶ月たった今でも、全く石巻市やほかの被害にあった地域はそのままでした。TVも原発のことばっかりにな り、薄れて来てて。

現 地の人に言われたのは、TVでは石巻市のことたくさん流れてるか、とか来て見てTVよりすごいやろ、TVは何も伝えてくれてないね んっていわれて、わたしはせっかく現場にいく機会があってたくさんみて、これからしっかりと伝えないといけないんやとおもいました。そして人間のおろかさ と自然の恐ろしさを味わいました。生きていることは当たり前ではないとわかり、これからの生き方やもののかんがえかた、感謝の気持ちを忘れないようにして いこうとおもってます。
<3回生:女>


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あ りがとうございました。石巻に行って、被害の状況にも驚きましたが、やはり、現地に行ってしか感じることのできない臭いに驚きました。今回は、自分が行 くと決めて参加し、みんなで行ったからこそ現場に足を踏み入れることが出来ましたが、正直、自分一人だったらきっとあのような現場に踏み入ることはないだ ろうと思うくらい、想像を絶するものでした。

マンションを掃除している時、日常の生活が泤の中にあり、保育園 でも普段と同じように生活をしていたことが感 じられました。石巻には、ほとんど住民の方は居ませんでした。もし、津波から逃れることができたとしても、大事な人を亡くした街、壊滅状況の自分が住んで いた街を見るのは、本当に辛いことだと思います。

私達に出来たのは、ほんの些細なことで復興という言葉にはほど遠いものだということにも、行ってみて、作業してみて改めて感じました。

現地の様子を見て、現地の方の話を聞いて、頑張ろうなんていう言葉の軽さも感じました。私達が行って感じたことなど、全てが伝わるわけではないと思いますが、伝えていくことの大切さも知ったので、出来る限り多くの人に伝えていきたいと思います。

明日なんて保証されてないということを改めて感じ、後悔しない生き方をしたいと思いました。
<3回生:女>


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私は今回このボランティアに参加して感じたことは、仙台市は全然被害が無かったけど、石巻市になると被害がとても大きくあってその差にギャップを感じました。作業自体は泤かきが大方であって、体力的にはとても辛く感じ、匂いがとてもひどいと感じました。

しかし、いろんな地方の方からボランティアに来られてて、石巻専修大学のボランティアセンターにあるテントの数に驚きました。ボランティアをするという一つの目的に向かってこんだけたくさんの方が来られていることにとても関心しました。

私 個人として今後どのようにして何を伝えていくかがこのツアーの使命だと思います。匂いや体力的や精神的に辛いことを伝えてもいって見ないとわからないと 思います。先ほど地方の方々が来られていると言いましたが、あの被災規模であの人数はやはりまだまだ足りないと感じました。なので、まだまだ人数が足りて ないということを理解してもらうために、どのような方が、どのような頻度でどのような作業をしているかを理解してもらうためにここを伝えるべきだと思いま した。

今回の反省と致しましては、愚かかもしれませ んが、なかなか被災者の気持ちになれなかったことです。実際被災者と話す機会もなく、どうしても作業するのに 精一杯で、先ほどの感想で言った様に、観点がボランティアをしている目線で捉えてしまっています。石巻市について調べてはいましたが、話すことが出来ずと ても残念に思います。もっと被災者の立場を真剣に想い、考えて今後の行動も変えて行きたいです。貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。これから できることをもっと考えていきたいです。
<4回生:男>


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こ のような機会を与えてくださった引率の教職員の方々、影ながら支援していただいた皆様に心から感謝いたします。私は震災が起きて間もないころから現地に てボランティア活動をしたいと考えていました。しかし、今ではだいぶ混乱が落ち着いてきたものの、現地に赴くには難しい状況でした。そのような中、6月と いう早い段階で、木越先生、志藤先生をはじめとする方々のご尽力により企画された今回のボランティア活動は願ってもない有り難いことでした。バス内で一泊 し仙台市内に到着したとき、仙台という土地に初めて訪れたこともあり、被災地とのギャップには強い違和感を覚えました。

し かし、被災地であり活動現場であ る石巻市に近づくにつれて、不自然に閉ざしている店、行き交う車の減少など、次第に様子が変わっていくことに気づきました。その後、津波に直撃した地域に 到着しました。映像で確認し、前もって先生方から現地の状況はお話していただいていたので想定内ではありましたが、実際にその場にたってみると状況がどれ ほど絶望的であるか痛感しました。

被害が少ない家宅など一つとしてありません。打ち砕かれた塀と壁、土とオイ ルと海水などが混ざり合ったヘドロの異臭、目 茶苦茶に掻き混ぜられた家財、見渡すかぎりの瓦礫の山など、いずれもそう簡単にどうにかなるような被害ではありません。それだけではなく、建造物によって その被害状況は語り尽くすことができないほど様々です。

そのような中、現地にいるのはわずかに残る被災者の方 とボランティア団体だけでした。家宅の数と一 致しない人気の無さは、まるでゴーストタウンのようで、非常な状況であることを実感させられました。私たちが実際に行った主な活動は家内の泤除けでした。 部屋の隅から隅までいっぱいに敷き詰められたヘドロをスコップと台車を使って取り除きつづけます。

ひどい異臭とオイルと土が混ざったヘドロを運び出す単純 作業は精神的、肉体的に疲労の溜まります。あとからこの泥除けの作業が家宅の再利用のためだと聞いたときは驚きました。ここまで酷い状態から再利用という 選択肢は私には思いも寄らないことだったからです。

私 たちはこの作業をすることが2日間の主な目的だったわけですが、被災者の方、ボランティア団体の方に とっては毎日のように続けていることです。しかし、これだけの作業を毎日続けていても「復興」といえるほどの終わりは現状からは見えてきそうにありませ ん。それを思うと、私たちができたことがどれだけ小さなことであるのか疲労した分だけ思い知らされました。

それでも、現地の方々は毎日のように復興作業へ 勤しんでいます。「現実問題そうなってしまったからやるしかない」と言葉にするのは簡単ですが、私が同じ立場にたったとき同じ言葉を言い続けることができ るとは到底思えません。

私は義援金というのがあまり好きではありません。その金が一体何に使われているのわかりませんし、何よりもそうすることによって被 災者の方の助けになれたと満足してしまうのが恐いからです。

だ から、私は直接現場に赴き、自分の手で復興作業をしたいと思いこのボランティアに参加しまし た。しかし、それすらも本当に小さなものです。被災者の方の力になれたと納得することはできませんでした。どんな小さなことでも助力できたことは喜ばしい ことではありますがそれで満足できそうにありません。被災し困っている人のために私は何ができるのか。私はそれを改めて考えたいと思います。とはいえ、3 泊4日という短い期間ではありましたが得難い経験ができたことには違いありません。またこのような機会があるのならばぜひ参加させていただきたいと思いま す。短い間でしたが今回は本当に有難うございました。
<3回生:男>


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2日間お疲れ様でした。そして今回の企画ありがとうございました。僕が感じた事です。

●崩れた家々を見て。
『どーしたらいいんだろう』映画のセットの中にいるような感覚で、ただ漠然と、『復興』が途方も無い道のりなのだと感じました。何をどうしていったら、次 に進めるのか分からない。という不安感。

●現地の方と話して。
タフやなぁ。という印象。

●ボランティアの人達を見て。
頑張ってる人がこんなにおる!この頑張りを広げたい。

●作業を終えて。
もしあの壊れた家のうち、どれかが自分の家なら、何かをする気は起きないと思います。片付けていくひとつひとつの物に、自分なりの思い出があったなら、作 業なんて絶対に出来ない。

●みんなの感想を聞いて。
見た事、感じた事を自分の周りに伝えたいと思いました。助けを呼べない人の気持ちを想像してつらくなりました。

●全体を通して。
ニュースでの話題が減ってから、原発の事以外忘れがちになっていた事を反省したいです。たった今、辛い思いをしている人達の事、頑張っている人達の事を忘 れずに生活しよう。と思いました。

今は、2日間で見たものが思い返されています。それと合わせて、想像する事をためらっていた事を想像して、少しつらいです。でもこのツアーに参加出来て良 かったと思っています。ありかとうございました。
<1回生:男>


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今回、このツアーに参加出来た事をとても嬉しく思います。現地では様々な事、匂い、景色、音等を感じました。また声も聞きました。 僕達が感じた事を確りと胸に刻み込まなければならいし、現実を受けとめなければならい。

何が出来るか考え、行動する事により、このツアーの目的が果たされるのでは無いかと思います。 さっそく明日から行動し伝えて行きたいと思います。 3泊4日間という短い間でしたが、お世話になりました。 本当にありがとうございました。
<3回生:男>


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今 回はこのような機会をいただたことに本当に感謝しています。本当に想像以上で、自分たちがなにをやってもどうしようもないと思いました。テレビや新聞な どで見るのとでは大違いでした。作業は本当に疲れました。しかし、現地の人やボランティアの人は、震災からほぼ毎日やられていて、本当に大変だと思いまし た。

マンションには生活用品、子供のおもちゃなどがたくさんあり震災が起こる前は、自分たちと同じような本当 に普通な生活を送っていたんだと思います。1 日目の作業をする前に周りの家などをみていたとき家があったと思われる場所に時計がありました。その時計は3時40分で止まっていました。調べてみると、 石巻市が津波の被害にあったのは3時40分ぐらいとされていて津波がすごい速さで来ていたことがわかりました。作業した場所から海が見えるわけではないの に到着時刻と同じ時間に止まってるというのは、本当に怖いことだと思う。

話 を聞くところによると、泥はきをしたマンションも建て直すことなく、使われるみ たいで、また住めるようになるのも気の遠くなることだと思います。今回みたいに、自分たちのような小さな力を集めて大きな力にし、はやくもとの生活に戻れ ることを心から願います。自分もたくさん写真をとったので、友達や家族にこのことをできるだけ詳しく伝えて行きたいと思う。 写真も個人的にまとめてみます。またこのような機会があればぜひ参加したいと思います。本当に今回はありがとうございました。お疲れ様でした。
<3回生:男>


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津 波によって失われたもの、壊されたものは絶対元通りに治ることはない。しかし、何かを奪われたり、壊されたりしながら、それを抱えてずっと生きていく 人たちがいることを心に留め置きたい。元通りにならないということは、津波はまだ終わっていないし、復興は終わらないということだ。恥ずかしながら、私も 現地で活動するまでは、復興に対して、どこかゴールがあるように感じていた。

し かし、現実は、津波の傷跡との終わりなき闘いである。終わりがない、目標が ないことで、途方にくれてしまうかもしれないが、そういう現実と闘おうとする人たちがいる限り、私たちは、最低限そ の人たちの存在を心に留め置く必要がある。絶対忘れてはいけない。物理的な支援も大切だが、まずは、心に刻み込むことから始めて、一生を通じて、心に留め 置きたい。それが支援へとつながれば、たいへんうれしい。
<3回生:女>


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今 回、このツアーに参加出来た事をとても嬉しく思います。現地では様々な事、匂い、景色、音等を感じました。また声も聞きました。 僕達が感じた事を確りと胸に刻み込まなければならいし、現実を受けとめなければならい。 何が出来るか考え、行動する事により、このツアーの目的が果たされるのでは無いかと思います。 さっそく明日から行動し伝えて行きたいと思います。 3泊4日間という短い間でしたが、お世話になりました。 本当にありがとうございました。
<3回生:男>


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感想発表で喋り忘れた事を書きます→笑いとってましたが今、半泣きなので文章はグダグダです‥
ま ずホンマに昨日やってた事が今日、明日出来るか分からないっていう事を今日すごく感じました。マンションの片付け、安否不明の住人は明らか僕らと年齢の 近い夫婦でした。仲良く写ってるプリクラとか自分たちの初めての赤ちゃんの写真とか見たら片付け中なのは分かってるのに泣けてきました‥

見つけた年賀状の多くに「今度は赤ちゃんを連れて来てね」と書いてあったのを見た時も同じでした
そ して洗濯機にまだ服が入ってたり冷蔵庫に食料が入ってたり保育園の時計が津波の押し押せて来た時間でストップしてたり‥当たり前の生活が地震による津波 が奪い去ったというのを改めて感じました。そんな中でも現地の方々も普通な生活をしたいと願い、行動してるのは身に染みるくらい分かりました。少しでも片 付けに来る人、自分の飼ってる犬を散歩する人、潰れた家々の横や前で震災前と同じように遊ぶ子供たち、避難所のグランドで今まで通り練習する少年野球の チーム‥。

初日、犬を散歩する人と話したりアメリカのコロラドから仕事の農業を全て親と弟に任せ1人で日本に来 てヒッチハイクで成田から石巻まで来たアメ リカ人ボランティアと話して思いました「本当に人間ってスゴいな!!」って‥。僕らがやった事は岩手・宮城・福島の沿岸における支援ではほんの少しかも知 れません。でもあんなに多くの他府県や国からのボランティアの方々や現地の方々が「ありがとう」「ご苦労様です」と言うてくれた事は一生忘れません。

今、東京や広島、沖縄での戦争体験談を語る方々が少なくなってきてますが僕らは現地の人間じゃないけど若いうちに震災ボランティアを体験出来たのだから僕らよりも年下の人間に伝えなくてはならないなと思ってます。

最 後になりましたが今回、こんなに素晴らしいツアーを企画して下さった皆さんやスタッフ、現地まで運んで下さった運転手さん、東北別院の方々、数日を共に した先輩たちなど多くの方々に心から感謝してます。本当にありがとうございました!! 学校に戻れば学科もバラバラだから会う機会は減りますが我々は「チーム谷大」です!!
<1回生:男>

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お 疲れ様でした。体や精神的にキツかったですが、やり終えてからは何かスッキリしました。周りの皆にどう伝えていこうか思案中です(汗)。最後になりまし たが、こういう機会を与えてくださった先生方に感謝を述べたいです。「ありがとうございました」。段々眠たくなってきたので、筆を置きたいと思います。ま た機会があれば、その時はどうぞ宜しくお願いします!
<1回生:男>


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 今 回このツアーに参加できて、本当によかったです。普通に生活している自分はやはり心のどこかで人事に思っている部分もあり、それがとても苦しかったの で、参加させていただきました。参加するにあたって「自分にできることはあるのか」などの不安がたくさんありました。参加しただけで現地の方達と決して同 じ境遇には立てないだろうし、こんな私が行って大丈夫なのかなとたくさん悩みました。

実際に現地の石巻市に着い たとき、バスから見える景色にすごくショックを受けました。言葉も出てこなかったです。バスから降りて、感じた臭い、空気、雰囲 気、泥の重さや感触は想像以上のものでした。泤掻きをしていると、そこで暮らしていた人たちの物がたくさん出てきて、私たちと何も変わらない生活をしてい たんだなととても感じました。そのことがすごく辛かったです。

作業をしていても、本当に地道な作業でした。み んなで一緒に声を掛け合いながら、助け合いな がら、フォローし合いながら作業ができて、本当に助かりましたし、うれしく思います。私がしたことはほんのわずかなことだったのに、現地の人たちは、その 一つ一つに「ありがとう」と言ってくれました。そのことばがとても私の中では大きく、一生忘れないと思います。こんなにも深い「ありがとう」という言葉が あるんだなと感じさせられました。

初めて現地に行っ てボランティアをして、言葉では言い表せきれないほどのものを得ることができました。それは私の新たな考えや気持ち、精神的な成長にもな りました。今回のボランティアを通して、伝えなければならないことを少しでも多く伝えていきたいと思うし、どこかで今回得ることができたものを生かしてい きたいなと思います。 先生方、運転手さん、学生のみなさんと行けてよかったです。本当に感謝しています。ありがとうございました。
<3回生:女>


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ま ずは、このような縁を与えて頂きましてありがとうございました。多少繰り返しになってしまいますが、ご了承願います。私事で恐縮ですが、あの津波の起き た3月11日の前日、私は京都の病院で喉の方の緊急手術をしました。それには背景がございまして、その前日に私は茨城県の方に旅行をしておりまして、病状 の兆候が現れ現地の海沿いの病院に行きました。そこでも入院を強いられましたが、応急処置をしてもらって、京都に帰りました。そして、その病院付近は翌々 日、津波で大きな打撃を受けました。1日遅かったら、私もどうなっていたか分かりません。それもあってか、京都に帰り、入院中でもどこか妙な罪悪感と戦っ ておりました。

そ れでなくても、出身の東北地方が大打撃を受けたという事もあり、ニュースを見る度に、一早く何かしらの形で馳せ参じたいという気持ちもご ざいました。もどかしい気持ちと戦いながら、入院中は病人という事もあり、何か京都で出来ることは無いだろうかと考えるようになりました。

ま た、仙台に親 戚が居て、中々連絡が取れなくて昨日今日と特に私の実家の秋田に疎開のような形で避難していた祖母に久しぶりに会った時には、感慨深い思いがございまし た。 話は戻りますが、入院中はそんな祖母にその時は東北地方はまだ寒かったという事もあり、マフラーを編み、誕生日にプレゼントをしました。

少し前の中越沖地 震でも、地震で亡くなられた方よりも、二次的に精神面で亡くなられた方が多かったとニュースで知り、私の入院の事で余計な事を考えて欲しくないと思い、一 応の健在ぶりを示しました。

結 果的に、人一人の事しか考えれなかった以前と比較する必要も無いのでしょうが、今回はやや大きな視点で支援に関われた事を嬉 しく思っています。座学だけでは決して味わえない世界を、口だけの人間にならないような生き方を、一瞬ですがさせていただけた事を感謝しています。やや苦 言を呈させていただくとすれば、全力の姿勢を否定された事です。ここまで遠路はるばる志を持って来て、果たして力を余す必要があるのでしょうか?汚れる事 は覚悟して来る必要があるのだと思います。

この提言は私の融通の利かなさから来てるのかも知れませんが、何か参考にしていただければ幸いに思います。最後 に、今回は短い期間ではございましたが、復興支援に少しでも関わらせていただけましてありがとうございました。
<4回生:男>


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バ ス内でのスピーチ粗末になって申し訳なく思っています。なので、文章で感じた事や思った事を伝えたいと思います。私には宮城に住んでいる友達がいま す。1日目の自由時間に会って来て、話しを聞きました。その友達は津波の被害の無い所で無事だったのですが、震災の当初被害の大きかった所に行ったみたい です。電柱に腕だけが残っていたり、死体が普通にそこら辺にあったと言っていました。とてもじゃないけど見られる状況では無いと言っていました。たくさん の人が無くなったなかで、こんな言い方は良く無いかも知れないですが、友達が無事だった事は、本当に良かったです。

宮 城に来るまで、震災についてテレビな どのメディアで見ており、現地は酷い状況だと言うことは知っていました。しかし、それはあくまで人伝えのものだと今回のボランティア活動を通して実感しま した。現地に着き、見た住宅や日用品の山。写真やプリクラも見ました。小さな子供はなんとか助かろうとしてクローゼットに非難し、そのまま亡くなってし まったと言う話しも聞きました。自分の住んでいる関西では考えられない事です。その状況を想像して平常心を保つ事なんて出来ないです。今回、作業したア パートも住人の方達は生きているか分からない状況でした。その方たちの住んでいた所で作業していて、何ともいたたまれない気持ちでした。

こ の2日間で行 なった作業は全体で見れば、本当にごくわずかな事です。完全に復興させる為には膨大な人の助けと時間がかかります。これから、自分には使命が出来ました。 それは、これから生きていく中で多くの人にこの体験の事を伝え、この恐ろしい震災が風化しないようにする事です。今回のボランティアが最後のボランティア にならないようにこれからの生活を見直していきたいと思います。最後になりましたが、このような貴重な体験をさせて頂いた先生方、スタッフの皆様、学生の 仲間の皆様には本当に感謝しています。本当にありがとうございました。
<4回生:男>


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ま ずは何よりも今回参加できてよかったです。学生対象のみならず、このような機会を与えてくださってありがとうございました。日常の貴重さ、自然の強さ、 人の作るものの脆さ、そして一人では大したことなくても集団になった時の人の力強さ、色々なことを感じた2日間でした。

私 が学生時代に神戸で受けた衝撃 を、自分の目で見た景色を今でも忘れられずにいるように、短期間ではあったけれど、今回の経験は学生たちの今後の考え方に多少なりとも影響を及ぼすことに なるのではないかと思います。私もあの景色を、断絶された日常を、臭いを、きっと忘れません。この先も、直接的に、間接的に、ずっと関わっていけたらと思 います。私を今回のメンバーに加えてくださって、本当にありがとうございました。
<職員>