第6便

始めにこの3日間お疲れ様です、そしてありがとうございました。
始めてボランティアに参加したでが、昨日訪れた宮城県亘理郡山元町の仮設住宅を訪れ、炊き出しや数珠作りに参加してくれた人々達はみんな笑っていました。数珠作りや牛丼を出したりして非常に喜んでくれて、とてもやりがいがありました。
笑顔が見ることができて、良かったです。
しかし、帰る前に見た資料映像は、ほとんどの人々が泣いている顔、厳しい顔ばかりで、改めて被災地に来たのだなと思いました。昨日訪れた町には家の跡などはありましたが、人の姿はなかったです 、避難している方々が多いと思いますが、その人達は生きていると言うことを信じたいです。
真宗大谷派現地復興支援センターのスタッフの方によるお話では、私達にできることは被災地に生きている方を忘れないとありました。実際、昨日お会いした方々は笑顔でほんとに1年前に震災に遭い、家をなくした人なのかは、わからなかったです。やはりスタッフの方が話していた通り、人には忘れさせる装置でもあるのでしょうか?
しかし 震災に遭い、生きることを選択した人々は別院の方をはじめ仮設住宅の人々もすごく強い人のように思えました。その人達に、少しでも手伝いできて、笑顔になってもらったことがとても嬉しかったです。そこから共に生きるということを少し学んだきがしますし、一緒に炊き出しや数珠作りや衣服などの分別をした第6便の仲間達からも共に生きると言うことを学ばせていただきました。
【4回生/男】

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仮説住宅で呈茶をするということで、今回、茶道部に声をかけていただきました。
はじめは不安でしたが、席が始まるとお客さんからダイレクトに感想をいただけるので、普段の茶会と違って新鮮な気持ちで楽しめました。
【3回生/女】

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私は、第6便で被災地ボランティアに参加し、仮設住宅で抹茶を出していました。
お抹茶とお菓子を運んだ時と、お抹茶を頂いた後に「有り難う」と言われた事がとても心に残っています。
被災された方に、少しの間でも楽しんで頂けていれば良いなと思いました。
【2回生/女】

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震災から1年以上が経ち、ボランティアの内容も大きく変わったように感じます。
今回のボランティアでは、過去の自分たちの活動を振り返ることができました。被災地で被災された方の目に映る活動以外にも、京都でもいろいろと活動をしてきました。特に、クロアチアの展示では、自分の全く知る機会のない活動を知ることができてよかったと思います。
また、前回、前々回にお会いした被災地の方々及びともに活動したみなさんを思いながら被災地で過ごすことができました。最後に見た映像で海楽寺の写真が写った時は、つい体をのりだしてしまいました。
3度のボランティアと京都で行ってきた活動の出会いを「忘れない」ことをこれからは意識していきたいです。れからも様々な活動を通して、そのたびに今までの活動をしっかり思い出していきたいです。
【2回生/男】

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今回、本活動に参加して考えたことなどについて、2点に絞って述べます。
まず、1点目は、危機意識についてです。震災が発生した当時は、他人事ではないと思いました。しかし、時間が経過する中で、危機意識が低下していることが否定できないと感じました。今後、自らにも関わることと思いながら生きていくことが大切と考えます。

続いて、2点目は、眺めることと見ることについてです。このことについては、実際に被災地を訪れて、一層考えずにはいられませんでした。なぜならば、自らがマスコミ等の情報から大変な状況に東北地方が陥っていると眺めていたと思います。ところが、現実を見ることにより、復興への道のりは厳しいと痛感しました。この眺めることと見ることの違いを、現地で考えることができたことが重要であったと思います。
以上、2点に絞って述べてきましたが、「共に生き合う者に成る」ために、自らの生き方やあり方を含めて問い続けることが課題となりました。
【大学院/男】

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なかなか参加するきっかけが掴めず、個人でいくような行動力もなく、気持ちも固まらなかったが、今回、直接現地に行ったことは貴重な体験になると思う。うまく言葉にまとめるのは難しいが、直接自分の目で見て、人に逢い、会話をした経験、一緒に念珠を作った経験が、自分自身に学ばせてくれたことが何か考えていければと思う。
最終日の夜にいただいた、「忘れないでください」という言葉を忘れないように、日常生活の中で自分のすべきことをしていきたい。
【4回生/男】

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今回、東北ボランティアに参加してよかったです。
震災が起きて1年が経ち、自分には何が出来るか、特に子どもたちには何がしてあげられるのかを考えました。
実際、東北へ来て被災地を見たとき、TV画面から観ていた風景そのままででも、自然は生きようと育っていて、人は動いているし、空は高く青くて海もキレイで、時間は進んでいました。
けれど、それでもあのときから時間が止まったままの人たちもたくさんいることを、忘れてはいけないと感じました。
交流会では、地元のおばあちゃんたちが、仮設住宅から出てくるだけでもオシャレして笑顔で来てくださる姿が、地方から来る人たちと関わることが楽しいそうで自分も嬉しくなりました。
また、次の機会に参加出来るときは参加して、今回よりも自分の出来ることしたいと思います。
【2回生/女】

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今回、私は被災地ボランティアに初めて参加させて頂きました。
同じ回生の人が少なく、不安になりながら集合した11日の19時10分。
集合場所には、経験者である友人が見送りの為に先に集合していた。
19時30分。
数分前とは、比べものにならない位の人が集まっていた。
半分は参加者、もう半分は見送りの人達。
こんなに大勢の人が、見送りに来てくれるのかと感心の念を抱きつつ、今回参加出来なかった人の分も頑張ろうと思った。
バスで一夜を過ごし、12日の朝。
東本願寺東北別院に到着。
勤行を行い、一息ついた後に調理の事前準備を行う。玉ねぎと延々と闘う作業が続き、ようやく宮城県亘理郡山元町の仮設住宅に向けてバスで移動。
途中、沿岸の住宅街跡地へ立ち寄った。
この日は風が非常に強く、沿岸に立つと砂が襲うように吹きつけてくる。
そこから街があった風景を眺める。
普通に生活していたら、見られないであろう貴重な景色。それは、津波の被害の大きさを物語っていた。
沿岸の木はあるものは倒れ、あるものは津波により幹を町の方へ向けている。それは枝だけになりながらも町へ向かうように風になびいていた。
また、電柱は倒れ半分に、そのほかに今となっては何かわからない石碑の破片が木々の近くに横たわっている。
そして住宅の跡地。コンクリートの土台だけが残りどのような家だったのか、跡形もない。似たような跡地が遠くに見える墓地まで続いていた。実際の津波の光景は私には想像すら出来ない程、強大だったのだろう。
目的地に向かう為、沿岸を後にする。バスで移動しつつ、被災風景を窓から眺める。暫く酷い惨状が続く。今でもその傷跡が残っている街並み。瓦礫の建物。まだ所々には水が有り得ない場所に残っている…。
そうして揺られているうちに、山元町の仮設住宅へ到着した。私の班は、牛丼を作り冷奴と共に100円で販売する班であった。皆が試行錯誤しつつ、玉ねぎ、牛肉、出汁を合わせて理想の牛丼へと近づける。
そのうちに、茶道部がお茶とお菓子で被災者の方々をおもてなししていた。
なんとか、スタート時間の16時に合わせて牛丼ができた。いよいよ販売。
全員に回るように1人1つずつ販売。
皆買いにきてくれた人たちは、ありがとうと優しく声をかけてくれる。自然と私も笑顔で返してしまう。
忙しくなると、その人たちにちゃんと言葉を返せなかったので残念だ。
笑顔のおばあちゃん、子連れのお母さん、たくさん注文してくれるお爺ちゃん。色々な人の笑顔が見ることができた。
忙しくしているうちに18時となり、販売終了となった。牛丼は残ってしまったが、満足してくれていたので、よしとしよう。
片付けし、その日の活動は終了した。
帰り際に区長さん方がお見送りをしてくれた。暖かさを感じた。
後日、仙台復興支援センターで被災地に送られる支援物資の整頓、再包を行った。
支援物資の量に驚いた。2階が溢れんばかりの物量。実際、それは階段にまで及んでいたが、
この状況を見て、私は人の繋がりの強さと大きさを実感した。
支援してくれた人達にとっては、被災者は悪く言ってしまえば他人事であり、実際には自分と関係のない人たちだ。
しかし、実際に目に見えていない所でも支援者たちは助けようとしてくれるのだ。
日本は素晴らしいと思う。海外からも支援金が来るのは、日本が海外に派遣や義援金を送っているからだ。
思いやりの気持ちはちゃんと形として現れ、還ってくる。
この日に見たのはほんの一部だが、実際は比べものにならないほどの支援物資が届いていたはすだ。
人は、人によって助け合うことが出来る。そして、絆で繋がっている。
支援物資が今は眠ったままであったのは残念に思えたが、再包したのできっとどこかで役に立ってくれるはずだ。
人の強さ、繋がり、暖かさ、色々な事が経験となり、私を成長させてくれたと感じた。
私自身、活動にあたって至らない所が多々あったと思うが、それもこれからの色々な経験で補えたらと思っている。
また、次回も是非参加させて頂けたらと考えています。
【3回生/男】

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今回のボランティア活動を参加させていただき、ありがとうございました。
わずか2日間ですが、様々なことを経験させていただき、大変勉強になりました。私にとって、ボランティアは他人を助けるより、多くの皆さんに教えて貰える機会だと思いました。
仮設住宅で被災者の方々と一緒に念珠を作る時、皆さんの笑顔を見て、精一杯念珠を作る姿を見て、私は被災者の方々から元気をもらいました。どんなことがあっても、諦めずに、頑張って、乗り越えようの精神に感動しました。これから、困難があっても、私は前向きに、頑張りたいと思います。

被災地が一日も早い復興を祈念しております!
機会がありましたら、またこのような活動を参加したいと思います!
【4回生/女】

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復興支援ボランティアは今回で2度目の参加でした。前回ボランティアに参加させていただいて、この震災や原発事故のことを忘れず、これからも関わっていきたいと強く思いました。
しかし、時間が経過するにつれ、次第に震災や原発の問題が、自分とは遠いことのように感じるようになりました。
今回ボランティアに参加したのは、震災から1年が経った被災地はどのような状況なのか、被災された方はどんな気持ちなのか知りたいと思ったのと、自分の中でだんだん他人事のように忘れかけていた震災や様々な問題にきちんと向き合いたかったからです。
今回、海岸付近の被災地を訪問すると、人が誰もおらず、ただ広い更地のままで、建物も壊れたままでした。1年が経ちましたが、復興にはまだまだ時間がかかるように感じました。
被災された方々と接してみると、どの方も感じがよく、感謝の気持ちを述べてくださいました。様々な思いをお持ちであろうと思いますが、前向きに生きていらっしゃる姿にこちらが勇気をいただきました。
被災地に行き、現地の方々と触れる中で、ますます震災のことを忘れずに自分の問題として受けとめていきたいと思いました。
【4回生/女】

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炊き出しをした仮設住宅地の方々は、ボランティアの人が何かするのをすごく待っておられたように感じました。なので、行った私たちもすごく気持ちよく活動することができたし、みなさんにとても喜んでいただけたと思う。これほど楽しみにしておられるということは、やはり炊き出しなどを通しての交流などが必要なのだと感じました。
また、支援物資の仕分けでは、本当に多くの方が被災された方々を思ってたくさんの物を送られている事がわかりました。今回のボランティアでは「生きる」ということが強く感じられました。被災された方々、ボランティアをされている方々、支援されている方々が共に生きる。そういったことが感じられました。
活動を共にした学生、教職員、東北でお世話になった方々、バスの運転手さん、後方支援していただいた方々、本当にありがとうございました。
これからも被災地のこと、今回のボランティアのことを忘れず、そして伝えていきたいと思います。
【4回生/女】

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今回の活動内容は、牛丼、冷奴、そして抹茶を、仮設住宅に住んでいる方々に提供するというものから始まりました。念珠作りも行いました。
前回の芋煮会と内容は似ていますが、今回も大盛況でよかったと思います。
二日目は支援物資の仕分けをしました。驚くほどの支援物資の量でしたが、それだけの人が送ってくださっているのだと思うと、嬉しくてたまりませんでした。
震災で心に深い傷を受けているはずなのにも関わらず、僕たちに笑顔を振りまいてくれる現地の方々は、精神面やその他色々な面において、とても強いものをお持ちなのだと思います。
その強さに、僕たちが背中を押されているような、逆に元気を貰っているような、そんな気がします。
ありがとうございました。
【2回生/男】

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3月11日、東日本大震災の事を思いだすと、私はあの時、地元の福岡県におり、情報は数少ない映像のみ、死傷者も100人単位、蓋をあければ2万人規模の世界でもトップクラスの震災であった事は遅れた発表であったと記憶しています。
九州は、震災の影響をあまり受ける事なく、安定した物流を保つなどほとんど震災前と日常生活に変化はなく、真宗大谷派現地復興支援センターのスタッフの方が仰っておられた「内なる忘れる装置」が少しずつ作動していたのかもしれません。
あの日から1年以上経過し、徐々に復興して日々の生活を取り戻していると言われていましたが、実際に現地に足を運ぶと津波の跡は消える事はないし、そこでの生活は消え、戻れないのだと感じました。私は、メディアを通しての情報で知っている気になっていましたが、結局、私は何も知りませんでした。
今回のボランティア活動で仮設住宅を訪れ、そちらで暮らしてらっしゃる子猫を飼っていた女性。震災から1年が経ち政治、経済、放射能問題、無知、いろんな側面から、批判したり、冗談を言ったりいろんな声が聞こえてきますが、自分の生活が十分でないにも関わらず、捨てられた子猫に手を差し伸べる事が出来るという事、それがただただ単純に人間である事だと思います。
日本は広いです。各地でいろんな事が起こります。1人1人が手を差し伸べ、それが輪になる事を願います。そして、自分もその一員であり続けたいです。
【4回生/女】

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今回、初めて震災のボランティアに参加させて頂きました。
震災から1年と2カ月が経ち、関心が薄くなっている今、私ができることをしようと思いました。強く印象に残っていることは、現地に行って牛丼を配達に行ったときです。その牛丼は、ご自分の分ではなく仮説住宅のご近所の人に買っておられた分でした。さらにその人は、畑で弱っていた猫を拾って病院に連れていって飼っていました。
ご自分がしんどい想いをしているのに、こんなにも周りに優しくできるのかと、身にしみて感じました。自分がどれだけ幸せなのか、改めて分かりました。
これからも震災で悲しんだ人が、たくさんいたことを忘れないようにします。
【4回生/女】

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私は今回が初参加ということで、すごく緊張していました。自分のできることの少なさ、実行することの難しさを知ることができて良かったです。
こうなればいい、こうすればいいと言うのは簡単で、でも実際自分が動こうと思えばそこにはお金や、距離といった壁になるものが多い。そして一番の壁になるのは、それらを壁と感じている人の考え方だと思いました。
支援物資を送って終わり、募金をして終わりではない。物が満たされれば、幸せなのではない。人との関わりで一人じゃないと安心してもらうことが必要なのだと感じました。
【4回生/女】

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茶道部としてこの「共に歩み隊」に参加しましたが、宮城県亘理郡山元町の皆さんがとても温かく迎えてくださり、こちらが元気をもらいにいった形になりました。
震災から1年と2カ月が経ち、あの震災がどれほど凄まじいものであったか、僕たちは忘れてしまっています。これは被災した人を忘れることと同じだと本当に思いました。
このような貴重な体験ができてよかったです。
【2回生/男】

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今回初めて参加させていただいて、分からないことがたくさんありましたが、周りの皆さんによってなんとか乗り切ることができました。ありがとうございました。
震災が起きてから初めて現地を見て、1年2カ月が過ぎた今でも、その時の悲惨さ、凄まじさを感じました。
そんな中で自分が被災者の方に勇気を与えられるのか、笑顔で話したりすることができるかなと不安になっていました。しかし、そんな不安もすぐに吹き飛んで行きました。そこには自分の想像以上に笑顔が溢れていました。とても被災した人とは思えないような、素敵な笑顔。あれだけすごい地震、津波が来て家や大事な家族を奪われても、こんなにも笑顔が出るのだなと感動しました。いかに、自分が弱いかがその人たちに逆に教えてもらい、勇気をもらうことができました。
数珠作りでは、自分が作った数珠をプレゼントしました。とても喜んでいただいて、大事にすると言っていただきました。その時にようやく被災者の方々の心を少しでも癒すことができたかなと感じることができ、嬉しかったです。
2日目では全国から届いた支援物資の整理。衣類や生活用品、様々なものがありました。数がものすごく多かったなと思いました。でも、数というよりも全国の人々の被災地に対する優しさを肌で直接感じることができたのは、とてもいい経験になりました。
この移動を含めた4日間はとても充実し、濃いものでした。震災が起こって、ボランティアに行って気づいたことがたくさんありました。考え方も変わりました。本当に勉強になったし、今後の人生で生かせるところはどんどん生かしていきたいと思いました。
今回だけで物足りない感じもしたので機会あれば、また参加したいと思います。
ありがとうございました。
【2回生/男】

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これからが大事だと思うので、忘れずに生きていきたいです。
【2回生/男】

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