第2便

震災のボランティアを終えて、やっぱりすごい震災だったんだなと思いました。まだまだ色々と、やらなければならないことが、たくさんあって全然追いついてないと思いました。

今回は時間がなかったので、ちょっとのことしかできなかったけど、それでも「ありがとう」といってもらえて、ちょっとでも役に立てたのかなと思いました。ただ、自分が何ができるかと考えたらまだ分からないです。家に帰ってちゃんと考えたいです。
(2年:男)


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今回は貴重な機会をいただき、本当にありがとうございました。

あっという間に過ぎた2日間だと思います。津波警報が出た時のことは、まるで津波が来る、命の危険があるという実感が沸いてきませんでした。こうしたままに、何人もの方が亡くなられたという状況の凄まじさ、酷さは強く印象に残りましたし、うわべだけで同情してわかった気になっていた自分の非情さにも気づかされました。

この体験は、形だけ同情している自分への戒め、いつ何時崩壊するかわからない日常生活への感謝として、自分の中に持ち続けたいと感じました。重ね重ね、2日間ありがとうございました。
(2年:男)


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今回のボランティアに参加して、テレビでは伝わってこない被災地の状況を自分の目で見て、改めて他人事ではないと感じました。

実際海岸で活動している時、地震により津波注意報が発令されて非常に恐い思いをしたのですが、被災地の人はこの恐さを予震がある度に感じているのだなと思うとすごく心が痛くなりました。
非常に暑い中活動してしんどかったのですが、活動後は大きな達成感を感じることができました。人のために働くというのは本当にすばらしいことだなと思いました。

最後に皆さんが仲良くしてくれたおかげで、すごく楽しい思い出ができました。ありがとうございました。
(1年:男)


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今回の復興ボランティアで報道とはまったく違いました。テレビでみる現地と生でみる現地は何もかもが違いました。正直自分自身毎日のように報道される福島・宮城のことを当たり前の様になっていたと思います。ですが復興ボランティアに来て当たり前にしたらダメだし周りにも当たり前にさしたらダメです。参加した僕達に出来ることは周りにも情報を与えることが大切になると思います。

一便、臨時、二便合わして70人弱ですが1人1人が伝えることで変わってくるはずです。教育・心理学科の学生とも話していて、彼と僕とかは今回参加してこれっきりなるのではなくもっと支援に協力したいと話しています。自分達に出来ることはこれからは作業よりは話し相手になってくると思います。なので僕達は出来ることは少ないですがこれからも参加したいと思います。短い間ですがありがとうございました。
(1年:男)


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すごく疲れた、というのが今の正直な感想です。でも私たちが今回行った作業はほんの一部の小さい小さい部分でしかなくて、自分自身の非力さに虚しいものを感じました。土のうを運ぶのも重たくて時間がかかってしまったし、いろんな人にたくさん助けてもらいました。

でもそんな私の作業に対しても現地の方は「ありがとう」という言葉をくださって嬉しく思った反面、少しつらくもありました。でもこういった作業の経験ができたことは、私にとってすごくいい時間だったと思います。行って良かったと心から思いました。私は人に伝える、というのがすごく苦手ではあるのですが、家族や周りの友達などから少しずつ今回のこの思いを伝えていけたらと思います。本当にありがとうございました。
(3年:女)


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今回のボランティアではほんの僅かの活動しかすることができませんでした。それでも宮城県の方々は私達にありがとうと言ってくれました。そういった関わりの中から人々の繋がり、いのちの大切さを改めて感じました。

私は宮城県仙台市に友人がいます。その友人に会うことができて色々な話を聞くことができたのですが、本当に九死に一生を得た思いだと言っていました。「避難が30分遅れていたら命はなかった。」それを聞いて私はその友人が生きていてくれただけで本当によかったと心から感じました。

簡単に思って言っているわけではないですが、人間が生きている限り復興は時間をかければできると思います。いのちの有り難さに改めて感謝し、今回学んだことを考えながらこれから生活していきたいです。今回の活動に関わっていただいた全ての方々に感謝しています。

このような機会をいただきありがとうございました。
(2年:男)


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お疲れさまでした。ほんとうにいい経験をさせてもらってありがとうございました。私は地震発生当時からすごく現地に行きたくてウズウズしていました。

今回、現地に行くことで見ることができた多くの風景は絶対に忘れないと思います。そして、今までのウズウズが何かスッキリし私が今出来ることがわかったような気がします。早く行けばいいとかではないということ。ボランティアにいった方が災害にあったり体調が悪くなったりしては絶対にいけないこと。実際に経験することで『何かできることは?』と思っていた自分が落ちついたような気がします。

それから、絶対にまた来ようと思っています!!そのときは志藤先生に連絡させてもらいます。また、アドバイスください。あと、今回一緒に行ったメンバーと繋がることからが『人との繋がり』の第一歩ではないかと思います。だから、この縁を大切にして繋がり続けたいと思います。

ほんとうに、大学の先生方、東北別院の方々、第2便のみなさん、ありがとうございました。
(3年:女)


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2日間お疲れ様でした。実際に作業を行った時間というのはとても短い時間になりましたしまだまだ復興に向けてたくさんのするべきことが残されている中で私たちが出来たことはとても小さなことだったかもしれません。

しかし、例えば10万個のがれきが落ちているとしてそれを10万人の人がボランティアに訪れて一つずつ拾えばいいのだと私は思うのです。つまり、一人一人の力は小さくても、たくさんの人が力を合わせれば復興もそう時間がかかるものではないのではないのだろうかということです。

そのためにはとにかく多くの人が現地を訪れてなにか一つでも被災者の方達のお役に立つということが大事になると思います。私は大阪に帰り、ボランティアに行かせていただけて感じた素晴らしいことをたくさんの友人に話し、その話を聞いた人が自分も行ってみたいと思えるように努めたいと思います。
(3年:男)


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今回、人生初のボランティア活動というものに参加するにあたって、自分に何ができるか?ということを、参加決意をしてからずっと考えてきました。私は他の人と比べて体力が無いので、その分、地元の方々との交流に努めようと思い、とにかくその場にいらっしゃった全員と話すぐらいの意気込みで活動に臨みました。

一日目の予想外の頭痛も、地元の方々と話すチャンスと捉え、釣り具やさんの御年輩夫婦、若夫婦、お子さん、ボランティアの方々、高校の先生、タイやジンバブエの方々など、大勢の人と色んな話しができました。皆さん、とても元気で明るくて優しくて前向きでパワフルで、仙台の悲惨な景色を目の当たりにして落ち込み気味だった私の方が、逆に元気をもらい、これなら仙台はもう大丈夫なんじゃないか?と感じて安心していました。

しかし、実際に浜辺掃除の際に、地震及び津波注意報を体験して、鋭いショックを受けました。

現地の方々は、当時もっと想像も出来ないほどの凄惨な現場を目の当たりにし、深い傷を背負いながら、復興作業を続けているのです。そして今もなお余震に怯え、フラッシュバックしてしまう地元の方々の気持ちを考えると、どうしようもなくいろんな思いが溢れてきて、脳天気なことを考えていた非力な自分が情けなくなりました。

人々の心の傷が、まだ痛い間は、完全に復興したとは言えません。これからも果てしない時間がかかると思います。東北なんて、ちょくちょく来られる距離ではありませんが、例え今回一日、二日であっても、同じ志で復興作業をした者として、どんなに遠くても心は一つです。

今回のボランティアを最後にせずに、同じ日本人として、仲間として、家族として、またこの土地に来たいと思います。最後になりますが、引率してくださった先生方、職員の方々、ボランティア参加メンバー、そしてサポートしてくださった全ての方に、深く御礼を申し上げます。

本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
(学生:女)


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ボランティアに参加して、ごく一部の地域ではあるが、現地の状況を見れ、聞け、臭いを嗅げた事が私にとっての何よりの収穫であったと思う。見て、臭いを嗅いだ事は、作業や移動などの事なので分かると思うが 、聞け、はNPOの方の話もあるけれども、教務所の職員さんから喫煙しながら聞いた、震災直後の生々しい状況がとても印象深かった。

非日常では考えられない事ばかりであり、言葉もでなかったけれども、大谷派の僧侶として、「今、いのちがあなたを生きている」を改めて考えさせられる機会となった。

これ以上打つと酔いそうなので終わりますが、地震を東京で体験した私にとって、やはりこの震災は自分自身の内の問題であったことを再確認できる場となった。京都に戻り、自問自答し、友達などに伝え、機会を設けてまた足を運びたいとおもいます。ありがとうございました。
(3年:男)


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お疲れ様でした。今回はどうもありがとうございました。実際に現地に行くまで本当に日本で起きているのか、となかなか実感することができませんでした。母親の会社の人がボランティアに派遣されたり、バイト先に募金箱を置いたりして、それでやっと身近に感じるぐらいでした。

ですがその頃、連日続く報道にふと考えることがありました。もしわたしも大事な人たちや物を失ったら…どういう気持ちになるのか想像しただけで、胸がじくりじくりとしました。何か私にもできることは考え、お金を握りしめすぐさまコンビニへ走りました。でもお金だけではなく、行動を起こすべきなのではと思っていた頃にボランティアの話を聞きました。

ボランティア活動…と言っても普通のボランティア活動とは次元が違いますし正直何度も行くのを止めようと思いました。不安が後ろ髪を引っ張るのです。それでも行こうと決心できたのは…今でもわかりません。行って良かった…自分の目や耳や鼻や肌で被災地を感じることができましたし、次活躍する私たちの課題も発見することができました。次世代の子どもたちにこの日本を託す為には、今のままではいけませんし…。

この点において行って良かったと思います。もうひとつ、行って良かった?と思うことがありました。ボランティアと言ってもお客様扱いされている感じがしました。少ししこりが残ります。

側溝作業でもやったらやりっぱなしで 散らかった砂や土を住民の方がほうきで掃いているのも目にしましたし…本当に役に立ってるのかと不安になりました。繁華街に出た際には原発デモにも遭遇して この問題は長丁場なのだ、と一瞬頭に過ぎりました。

今回起きた事に目を背けず、東北以外に住む私たちだからこそ、この件をしっかり見据えて行く覚悟をしなければならないと思いました。このボランティアで活動した時間を決して忘れず 風化しないように努めたいです
(学生:男)


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今回ボランティアに参加させていただいて自分なりに少しは成長できたと思います。被災地を自分の目で見て実際に臭いを嗅ぐ事で、メディアが流している情報では感じられない物を感じ取る事ができました。

現地の人やボランティアをしている人達と触れ合って、人との繋がりを実感する事もできました。本当に人は1人では生きていけない、人は繋がっていると改めて思いました。ボランティアは自分が被災地の力になるというのも大切ですが、参加する事に意味があると思いました。

津波注意報がでて避難するときに、自分は「現地」の最前線にいて、とても危険な所にいると感じました。その現地で住んでいる人は本当に強いと思い、また自分はちっぽけで弱い人間だと感じました。

ボランティアに行き逆に宮城県の人たちからパワーをもらいました。ボランティア活動をして、これで終わってはいけません。これからの人生に生かさなければ、ボランティアに行った意味がないと考えています。また、第3便の人達のそれぞれの思いや考えを聞けた事も自分にとってすごく勉強になりましたし、同じ便になった人達との繋がりも大切にしたいです。このような機会を設けてくださり本当にありがとうございました。

また学校で支援してくださる人たちがいるからこそ、このような貴重な経験ができるという事を忘れてはいけません。本当に感謝しています。4日間本当にお世話になりました。
(1年:男)


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二日間(四日間?)ありがとうございました!今回このボランティアに参加させて頂き、自分の無力さを思い知りました。しかし同時に、無力であっても、この地道な取り組みを続けることが大切だということも強く感じました。そのためには時間やお金だけでなく、多くの方々の協力を要すると思います。

今回のこの災害が決して流行にならぬよう、現地で多くのことを学ばせて頂いた私は、その学んだことを、周囲の人達に伝える責任があると思います。そうして多くの方々の協力を得て、みんなで復興に向けての意識を高め、行動に移していけるようにしたいです。

また、非常に不謹慎ではあると思いますが、現地の方々の明るさや元気の良さに、とても驚きました。むしろ私のほうが、励まされたほどです。一方で、津波注意報が発令された時には、確実に私たちよりも強い恐怖や焦りを現地の方々から感じられました。

復興のために!と精一杯の元気や明るさを見せて下さっているだけで、実際は、それとは裏腹に大きな心のダメージを受けていらっしゃるのです。お金や物資、労働力だけではなく、今後は心のケアも重要です。私も出来ることを見つけて、微力であったとしても、頑張って取り組みたいです。その一歩として、夏休みには、現地のこどもと関われるようなボランティアにも参加してみたいと考えています。

将来、小学校の先生を目指す者としても、いつもの自分とは異なった視点から現地の様子を捉えられるように心がけました。先生が流失したお家を見せて下さったことを含め、ショックが大きく、今はまだ整理できていません。時間がかかるかもしれませんが、将来、こどもたちにこの現実をしっかり伝えられるように、整理していきます。日本のためにも、また、将来の自分の糧としても、積極的に復興に協力していければ幸いです。

今回、このような機会を用意して下さった先生方や職員の方々。また、宿舎の方々やボラセンの皆さま、現地の方々。そしていっしょに汗を流した仲間。他にも目には見えない所で、たくさんサポートして下さった方もいらっしゃると思います。こんなに拙い文章で、非常に失礼だとは存じますが、本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。
(3年:女)


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私はこのボランティア活動を通して、人と人との結びつきの大切さを学び今、私に問われている問題をいただく事ができました。被災地に着いて、バスでボランティア活動をする場所へ向かっていたのですが、窓から見える現地の被害状況は言葉では言い表せない程でした。

実際に、被災状況を目の当たりにするとメディアで見て感じたこと以上に心が痛みました。津波によって破壊された家はとても生々しく残っていました。えぐられるように壊れた家や浜辺に打ち上げられた巨大なコンテナを見て、自然のもつ恐ろしさを感じました。

さらに、浜辺で活動をしている際に地震が起き津波警報が出るなど危険な目にも合いました。なので、みんな無事に帰りのバスに乗ることができて本当に良かったです。

活動の中で他のボランティア団体の代表の方から話があり、その中で「人と人とのつながり」の大切さを話されてあったのですが、私はその言葉を聞いた時、とても感動しました。どんなに辛い状況にあっても私を支えてくれる人が一人でもいるという事が、どれだけ多くの人に生きる力を与える事ができるか。私はこの言葉にボランティア活動の真髄のようなものを感じました。

私はこの震災ボランティアに参加して私たち人間にとって本当に大切な事を学ばせていただきました。明日は我が身かもしれない状況の中で人と人が協力し合い助け合うとは何なのか。私は今回の活動を通して、そのような事を考える縁をいただく事ができました。
(3年:男)


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今回、実際に宮城県に行って、震災の残した傷跡を自分の目で初めて見た。車はぐちゃぐちゃの状態で積み重ねられ、歩道はひび割れていて波打っていた。柱だけが残って向こう側が筒抜けの家が何軒も並び、ブロック塀はノコギリのようにギザギザに尖っていた。浜辺にはコンテナが打ち上げられ、大木が横たわっていた。私が宮城県で見た光景は、日常生活からは考えられないようなものが多かった。

それと同時に、自然災害の持つ力は、日常生活を根こそぎ奪ってしまう程大きいものであると知らされた。しかし、そのような悲惨な状況の中でも、復興の為に一生懸命働く人々の姿も見ることができた。真っ黒に日焼けした、ヘルメットを被り作業着を着て作業をする人々。海水に浸ってめちゃくちゃになった土地を整備して、新たに畑を作っている人々。そのような人々の姿からは、毎日毎日汗水流しながら、少しずつでも壊れた過去の破片を拾って繋ぎ合わせていく姿勢を見ることができた。

たくさんのものを失ったとしても、その状態からもう一度やり直せるんだ、日常を取り戻すんだ、と立ち上がった人々の姿は、復興支援を目的として宮城県へ行った私にでも、生きる希望や勇気を与えてくれた。人間が力を合わせれば、大きな力が生まれるんだと思った。人間一人一人ができることは限られているかも知れないが、

今回のボランティア活動を機に、私にできることは何かということを常に考え、最大限の力を出していきたいと思った。
(2年:男)


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今回私は、被災者の方たちのためにボランティアをしようとするのではなく、自分のためにボランティアをやらせてもらおうという心持ちで活動しました。その理由は、今の私が、心から他人のためを思う事が困難だからです。私が他人のために何かをする時は、自身に余裕がある状態の時だけであり、何かがあった時にそこに自己が入っていないと結局は中途半端な責任になってしまうと思います。だから今回のボランティアはあくまで自分のために行動し、それが結果的に他人の役に立っていたのならそれはそれで良かったくらいの心持ちで作業をしていました。

しかし、この様な自分と他者とを離して考えるような事はおそらく仏教的には間違っていて、正しくは、他者のことを自分のことのように受け止められるようになった上で、他人のために行動することだと思います。でも、現実的に考えると限りなく不可能なので、結局どうすれば良いのか全くわかりません。
(4年:男)


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長い永い被災の現場。 時間的にも空間的にも自分の尺度では、到底図れっこない光景が広がっていた。しかしこの二日は確実にその中の一部だと感じることのできたと思う。例えば宿舎横のコンビニ。私の地元のコンビニは釣り人の為にルアーが売ってるのだが、それと同様にレジ横に大量の水。そして作業用手袋の種類が不自然な程存在した。

宿舎付近は電気も水道も通っているが明らかに通常ではないなと思う光景だった。しかし感じてないなと思う事も多かった。そこから二日間、被災現場を見て 海岸沿いを長靴で作業するのも慣れだした頃、津波注意報が発令した。でも私は焦らなかった。注意報など震災以来、何度もきているだろうという勝手な偏見もあったし、注意報などどうせ注意だけで終ると思ったからだ。

しかし実際には、注意報は3月11日以来で現地の人をヒヤヒヤさせていたらしい。後にそれを聞いた時、自分はまだ震災を外から見ているということに気付かされた。テレビでみたことを現実に観た気になっていたが、頭の中は所詮 リアルなテレビを観ているにすぎなかったのだ。私は二日いて、それを思うのが精一杯だった。だから少し休んでも一回、行ってみようかと思う。
(4年:男)


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今回のボランティアに参加して、現地の状況を見て触れて聞いて感じることができたのが、大変大きなことでした。ただそれははじめの一歩なのだろうとも思います。震災が起きてから、京都にいる私は、いつも、被災の当事者でないからこそ、出来ることがあると思い続けています。

今回の経験は、そのことを考えていく上で大きなものとなりました。いままでの自分の取り組みも含めて更に考えていきたいと思います。また学生たちの可能性の大きさを改めて感じることができました。いままでの自分の学生に対する視野の狭さを思い知らされました。まだまだ言葉になりきらないことがたくさんありますが、大きな経験をする機会をいただき、さまざまな形で関わり支えてくださった方や一緒に行ったスタッフ、学生たちに本当に感謝します。本当にありがとうございました。
(職員:男)


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まず、木越先生や志藤先生をはじめ教職員有志の方々、仙台の東北復興支援センターの皆様、参加学生のみなさん、ケイエム観光(バス運転士)さま、そして活動に協力・支援してくださった全ての方々に感謝申し上げます。1日目の側溝作業は予想外の炎天下で学生の体が非常に心配でしたが、それぞれ声をかけ合い協力し合って取り組んでくれました。2日目の浜辺での作業は地震と津波注意報により途中で中止となりましたが、メンバー全員が無事に作業を終えられ本当によかったです。

実際に自分の目で現地を見て、想像以上に地震や津波の恐ろしさを感じたとともに、私が見て感じたものを周りに伝えなければならない、今回の地震について風化させてはいけないと強く感じました。

また、『今自分に何ができるのか』を考えて参加させていただきましたが、今回で終わりではなく新たな始まりだと思っていますので、私なりに『今自分にできること』を考えてやり続けようと思います。

私にとって大谷大学ボランティアスタッフとして参加させていただいたこの4日間は貴重で重く大切なものです。本当にありがとうございました。
(職員:女)


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沢山の教職員の方々のサポートを受け、今回の活動に参加させていただきました。本当に、感謝しております。一人ひとりの、色々なストーリーで歩んできた人生が、たちまちの間に終わってしまい、今、私がニュースで目にするのは、温度を感じない、「何千」とひとくくりに表現された、命の、人生の数です。毎日、新聞を読み、心が締め付けられていました。この活動に参加して、現地に訪れ、現地を感じることで、今までの胸のつかえが、解消までとはいかなくとも、解決の手がかりになれば、と期待していました。しかし、実際に活動してみて、自分の中の課題は、ますます大きくなったように感じます。活動を通じて、これから大切にしたいことは、やはり「絆」を「継続させる」ことだと思います。引き受ける、引き渡す。縦、横に張り巡らされた絆の糸の中で、自分に与えられた、または自分がすべきと感じたことを、些細なことでも自分の役割としこなすことも大切なことだと思いました。今回、自分で見たり、感じたことは、行動で伝えられるよう、そんな人間になりたいです。
(職員:男)


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1便・臨時便に参加した方から、お話を聞かせていただいていたので、ある程度予想はしていたものの、自分の目で見たものは、想像以上でした。この光景は、決して忘れないし、忘れることのできないものです。今後、私がどのように関わって行けるかわかりませんが、何らかの形で長く支援したいと思います。

後方支援していただいたみなさま、本当にありがとうございました。
(職員:男)